映画「紙屋悦子の青春」、今日から岩波ホールで上映
戦争が終結したとき、みな「私はだまされた」と語った。「私はだました」という人は皆無であった。そのいい加減さを、伊丹万作は戦争責任という文章できびしく批判している。
少年飛行兵として、あの戦争に参加した経験をもつ映画評論家の佐藤忠男は、黒木和雄の映画「紙屋悦子の青春」について興味深いことを語っている。
通常、特攻兵を主人公にした作品では、いかに死ぬかということを、けなげにかつ凛々しく考えていたことを描くものだ。だが、この映画はちがう。主人公の特攻兵たちがいつも口ごもっている。しどろもどろしているのだ。信念があって特攻を志願するというより、成り行きで死地に赴くのだ。
たしかに、祖国の礎にならんと信念をもって出征した人もいただろう。だが、たいていの人は成り行きでけっして消極的でなく戦争に参加したのだ。そういう当時の空気を、この映画はよく描いている。
そういう一場面を紹介する。
昭和20年春、敗色が濃くなっていた。場所は鹿児島県米ノ津町。両親をうしなったばかりの娘、紙屋悦子は兄夫婦と3人でくらしている。
悦子はひそかに兄の大学の後輩で海軍航空隊に所属する明石少尉に心を寄せていた。その明石が特攻隊に志願することとなった。心穏やかでない悦子。
その明石はある日親友の永与を連れてきて、悦子と見合いをさせる。自分の死後、最愛の人悦子を親友永与に託すためであった。
そして、最後の日。悦子は明石のためにおはぎを作った。
明石 「おいしかったですよ」
悦子 「?」
明石 「おはぎ」
悦子 「あ」
明石 「そげん顔ばせんでください。・・・決心がにぶるじゃなかですか」
・・・・・
悦子「敵艦をば、敵の空母をば沈めなさることを祈っております。どうか、御身体ご自愛ください。――すみません」
特攻で敵艦に体当たりしていくであろう明石少尉に対して、悦子は御身体ご自愛くださいと告げるのだ。
この映画の脚本は、どれほど繊細な言葉に満ちているか。黒木和雄という映画作家の深い力を、あらためて思う。
この黒木の戦争というものへのまなざしを、私たちは90分のドキュメンタリーで描いたのだ。
もう一度、ここで今夜の番組の宣伝をしたい。
今夜、夜10時から。教育テレビ。
「戦争へのまなざし~映画作家・黒木和雄の世界~」
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