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定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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立山防空壕

長崎防衛本部
立山防空壕_c0048132_024414.jpg
立山防空壕_c0048132_0245326.jpg


長崎に勤務して、長崎原爆戦災誌を幾度となく繰り返し読んだ。
そのうち、あることが気になりはじめた。

原爆が投下されて市北部が大破壊され始めた頃、その緊急事態を長崎防衛本部に伝えたという警察情報が何度も戦災誌に出てくるのだ。

防衛本部って何だろう。それまで長崎の原爆遺構を巡り歩いたが、そういう名称の場所は見たことがなかった。
そこで、私は郷土史家や年長の被爆者に訊ねてみた。すると―、
「諏訪神社の傍にあったやつだろう」「今の県立図書館の山の中にあったとさ」という返事が返ってきた。どうやら、防衛本部は地下壕の建造物であったらしいという見当がついた。

私はその場所に行った。なるほど、目立たないが、図書館の横に穴が開いている。高さ2メートルほどの穴で入るとすぐ鉄格子ががはまっていて、それ以上進むことができない。ここは正面入り口で、他にも別の入り口があると、関係者は教えてくれた。立山の麓をずっと回ってみた。
山の腹をたどって行くと、コンクリートで塗り固められた大きな戸が3つほど並んでいた。このドアの向こうに長崎防衛本部があったらしい。それは立山の横っ腹をくりぬいて巨大な地下壕が作られてあったのだ。当時、空襲を避けるうえで、松代大本営のような地下壕が全国各地で作られてあったようだ。

その本部には30~50名の要員がいて、福岡や佐賀と電話連絡を常時とっていた。奥に知事室があって御真影が掲げられていた。いざとなったとき、県知事は県庁からそこへ避難して、救援本部として各方面に指示を出す場所となっていた。実際、永野知事は浦上に原爆が投下され大混乱が生じたとき、ここに入って警察を中心に救援体制を組むことになった。

福岡平和台の地下にあった西部管区の防空本部に「新型爆弾が長崎に投下された」という長崎からの第一報はここから打電される。

私がその壕の前に立ったのは被爆からおよそ40年経っていて、人々の記憶からはその存在が消えつつあった時期だ。日本が負けて米軍が進駐してきたとき、すぐその壕を閉じろと命じられ、以来封印されたままという話であった。

私はこの壕を何とか開けて、内部を見たいと思った。「土曜リポート」というドキュメンタリー番組に企画を提案したところ、やってみたらという返事が来た。

それからが大変であった。この壕を誰がどうやって開けるかということだ。一説によれば、米軍進駐前に日本軍の手によって閉じられた、そのとき、戸の内側に爆弾を仕掛けて、もし米軍が無理に開ければ爆発するようにした、というような噂もあった。上司もくれぐれも安全を第1にして撮影しろと忠告する。忠告はするが、別にいい知恵を出してくれるわけでもない。コンクリートで封印された戸を壊す重機などを借りる費用を出してくれるわけではない。

とりあえず、この壕は誰の手によって建設されたか調べた。大林組が担当していたと分かった。そこへ問い合わせたが当時の図面などないという。
私は粘った。もしこの戸を開けるということになったときは作業に協力してくれないかと頼みこんだ。すると、作った責任もありますから力を貸しますと返事があった。ただし、万が一のことが生じたら責任はそちらでと牽制もされた。

私は当時ここに勤務した人たちを出来るかぎり割り出して話を聞いて、この壕の構造などをおおよそ把握した。一番危険なことは長年密閉されていたので内部が酸欠状態かもしれない。中に侵入するときは万全の措置が必要だと、関係各所から忠告された。

いよいよ戸を削岩機で開けることにした。機械は大林組のものだ。ただし、先頭に私が立っていて万が一の場合はすぐ危機管理することと、大林組には約束した。
そして、穴が開いたら最初に入るのは私とカメラマンの二人が安全確認も兼ねて入るということにしていた。その際、酸欠の危険を考えて、県の消防本部から借りた酸素マスクを付けて入るという手はずにした。

当日、この地下の防衛本部でかつて働いていた警察官や女子挺身隊の人たちが見守る中で作業が開始された。
無事、戸は開いた。いよいよ私とカメラマンは内部に重装備で恐る恐る入っていった。壕のなかは小部屋がいくつもあった。通信機が置かれていた机などが見つかったが、機器などはいっさいなかった。最奥の知事室に入ると、御真影が置かれた穴が残っていた。もちろん御真影そのものはない。床にはところどころ水たまりがあった。バッテリーライトで照らし出しながら、慎重に撮影していたときだ。

カンカンカンという硬い靴音が乱れて近づいてきた。そして、その音の主たちは声を上げた。「いやあー、懐かしい。昔のままよ。」と中年女性が3人ハイヒール姿で酸素マスクも付けず無断で入ってきたのだ。元挺身隊の人たちだ。そして、重装備の我々と遭遇した。

「おうちたち、なんでそげん格好しとるとよ。大丈夫とさ。ここは隙間が多かったけん、空気はいっぱいあるとさ」と澄ました顔で、取材班の我々をたしなめるのであった。

こうやって苦労して、この壕を撮影し、この防衛本部に関わった人たちの証言も加えて番組にしたのは、それから半月後のことだ。以来、この壕は長崎に原爆投下されたときの重要なポイントであったという史実が知られるようになった。
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by yamato-y | 2006-08-10 00:25 | シリーズ作品回顧 | Comments(0)
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