夏の日の出来事
代々木公園を深町の方から上がってゆくと、夏の雲がわいていた。白くまばゆいその雲はバックの空の青さと対比していっそう白かった。夏の終わりを思わせる、透き通った空が広がっていた。
シンガー・ソングライター小椋佳.
第一勧業銀行に勤務するかたわら音楽活動を始め、「シクラメンのかほり」「夢芝居」「愛燦々」など多数のヒット曲で知られる。
49歳のとき、残りの人生は音楽を作ることで生きていることを実感したいと、惜しまれつつも銀行を退社。その後、年間平均50曲のペースで歌を作り続けてきた。その小椋に、4年前57歳のとき胃がんが発覚した。7時間にもおよぶ大手術で胃の4分の3を切除した。
以来、限りある命の時間を、「美しく生きる」ことが小椋の望みであり願いとなった。
その小椋の思いを伝えたいと2年前の夏、小椋佳の半生を描く番組を制作した。そのとき、心に残る恋の話を見聞した。
小椋佳は、1944年上野の料亭の長男として誕生。父親が趣味で奏でる琵琶を聞きながら育った。勉強はよく出来た。黒門小学校の頃、美しい少女と同じクラスになり、ほのかに思うようになった。その人の名前は佳穂理といった。
東大法学部に入学し、司法試験をめざすようになる。好意を抱いていた少女は私学に進み、演劇を志望し有名な劇団で嘱望される存在になっていった。
そして、小椋は彼女に自分の気持ちを打ち明けた。ところが、少女はあいまいな返事しかせず、小椋は失恋してしまった。
この悲しみを振り払うように、福島県の山間の村に小椋は逃避行する。
福島、磐梯山近く五色沼のほとりにある、早稲沢村。そこは当時流行り始めた学生村だった。今と違って草深い田舎だった。その村のほとんどの姓は小椋と名乗っていた。小椋佳は失恋の痛みを忘れようと、司法試験の勉強に向かう。ところが、村仕事に招かれ手伝ううちに、そのカントリーライフに夢中になる。そして、法律書より哲学書に惑溺する。当初の目論見と外れたが、小椋は楽しんだ。いつか、恋の痛みもすこしずつ消えていった。否、恋を直視することから離れようとしていたのかもしれない。
そんなある日、小椋を訪ねてきた一人の少女がいた。振られたと思った佳穂理である。
彼女は小椋を拒否したわけでなく、ただあいまいに返事をしただけなのに、小椋は一人合点で振られたと思い込んだのだ。
それから数日、佳穂理は小椋の妹という触れ込みで、同じ宿に逗留する。
後にその人佳穂理は、小椋夫人となるのである。
「望みや願いは、強く願っていると出会いという媒介を導引する、その出会いが成就への道筋をつくる、そんな気がするのである」と小椋は言う。
小椋佳という芸名がなぜ生まれたかもう言わなくても分かるだろう。佳穂理夫人とのフシギな出会いの思い出がその由縁だ。早稲沢村の多い姓、小椋。佳穂理の佳。この二つから成る。
北国の夏の村に、ある日現われた少女。
まるで、映画の一場面ではないか。今日のまばゆい雲を見ていて、この話を思い出した。
あ、最後に気が付いた。「シクラメンのかほり」。かおりでなくかほりだったんだ。
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