定年再出発 |
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鮎川信夫の奇怪な人生
大伴昌司が周囲にまったく身元を明かさなかったことは有名だ。なにせ、急死したとき、身寄りが見つからないと愛宕署に一晩収容されたほどだ。小松左京や星新一ら作家はともかく、日頃行動を共にした少年マガジン内田勝編集ですら、死後、大伴の正体を知り、両親と相見えるのも遺体検案室でのことであった。怪獣博士は怪人でもあったのだ。 世の中は広いもので、大伴と似たような怪人はいた。しかもとびっきりの怪人だ。 詩人、鮎川信夫。昭和61年に成城の甥の家で、ファミコンを見学中に急死する。これだけでも十分変だ。享年66。 現代詩、特に戦後詩において鮎川は「思想詩人」として重要な役割を果たす一方、ミステリーやワイアット・アープの伝記を翻訳するなど多彩な人物であった。晩年はゴルフ、磯釣りに熱中していた。 ただ一人の弟子河原晋也は、鮎川のことを「幽霊船長」と綽名した。 「謎の怪人」といわれた鮎川は極端な秘密主義者だった。実家以外のことはいっさい素性を明らかにしなかった。母が元気なうちは彼女が秘書代わりで、会見も母の家で行われた。直接、彼と連絡をとるのが難しく、中継者を介して連絡を入れ、折り返し本人から電話が来るまで待たねばならなかった。 鮎川の母がまた怪人なのだ。若い頃相当の美人だったと思われるが、老いて稀代の毒舌家、悪戯好きになったという。言及すればきりがないので、一つにとどめるが、吉本隆明に関することだ。 鮎川と吉本の仲は知られている。最初の頃、吉本もときどき鮎川の実家を訪れることもあったが、あるとき母は吉本に「貧乏書生は子供をこさえるものでない」と、説教垂れたという。懲りて、吉本は出入りしなくなったとか。毒舌、悪戯、枚挙に暇ない。意地悪サッチャンと噂された。 人は鮎川を独身主義者だと思っていたが、30年連れ添ったフミ子夫人という存在が死後になって判明するのだ。 その夫人がまた奇怪な人だ。炊事洗濯まるで駄目。浮世離れした、学究の徒であった。 隠れ家はつたがびっしり覆った木造の平屋。まるで物置のようなところに鮎川は妻と住んでいた。寝室兼仕事場はくもの巣が張りほこりがうず高く積もっていた。部屋にはガラクタや古着が積まれ、膨大な英語の雑誌が散乱していた。整理整頓という俗世間のいじましい徳目はここにはない。――まるで幽霊船だ、この部屋を死後見学した河原はそう思った。以来、河原は鮎川のことを“幽霊船長”と呼ぶようになる。 河原はフミ子夫人から次々と意外な話を聞かされる。それは、長年付き合ってきたダンディな鮎川とはまったく異なるイメージであった。 ●料理の苦手な夫人のために、刺身をさばいたり、湯豆腐をこさえたりした。 ●気前がよく、ゴルフ麻雀と遊びなれた鮎川だったが、家ではスーパーの景品クーポン券をせっせと集めて台紙に一枚一枚貼り付けていた。 ●長年付き合ってきた甥ですら、妻の存在は知らされていなかった。 以前、北村太郎に関する「北村太郎を探して」という本について触れたことがある。北村も鮎川と同じ「荒地」の主要メンバーであった。この本は北村が亡くなったことを契機に書かれたものだ。そこに、北村の中学校時代からの友人で詩人・英米文学研究である加島祥造の講演が収録されていて、こんな発言を加島がしている。 《一九五三年に僕は、そこの山下公園に繋留されている氷川丸で、アメリカに留学に行ったんです。(中略)戦後のアメリカに行く留学生では、僕はごく初期の留学生で、その見送りには、北村と最所フミが2人だけ来てくれたんだ。どうして北村が来てくれたのか、いまだによく分からない。あの人が心の中で僕をそんなに大切に思ってくれていたとは考えられないんだ。もう1人は最所フミ、彼女が来たのは、当時僕らは一緒に暮らしていたからね(笑) 》 最所フミとは戦後日本でもっとも有名な女性の英米言語研究者。後に鮎川の妻となる人物だ。戦後間もない頃、雄鶏通信社にいた加島が、リーダーズダイジェストに勤務していた最所フミに、進駐軍向けの新聞に英文コラムの執筆を依頼したことがきっかけで、荒地のメンバーをの交流が始まった、ということが真相らしい。今や信州に隠遁して、道教を英訳したりして仙人のように暮らしている加島が、鮎川の妻とかつて恋人同士であったとは。 詩人鮎川信夫が怪人というより、詩人およびその周辺の人たちはみな怪人だった。なんか、アダムスファミリーを見ているようだ。大伴昌司は単独犯罪、鮎川信夫は集団犯罪ということか。 今、職場は明日から始まる引越しで大騒ぎ。私は、2本の番組のナレーション原稿のチェック。多忙のはずだが、この鮎川のことを書いておかないと気がすまない。なんだ、かんだで、またブログライティング。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2006-07-28 16:14
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