黒木和雄・戦争レクイエム4部作
紙屋悦子の青春
今、「戦争へのまなざし~映画作家・黒木和雄の世界~」の4回目の試写を終えた。やっと一つの形になっていた。
ディレクターのDさんはこの2日間に相当頑張った。努力のあとが、編集テープ80分に表れていた。
助かった、というのが今の私の実感だ。もし、今日のバージョンで出来上がっていなければ、最悪の状態が起きていただろう。
編集締め切りが今週の金曜日。それまでに、間に合わせるには、私自身が編集室に入り込んで、1カット毎に指示することになる事態であった。そうなると、本日から3日間は不眠不休の編集作業となる予定であった。まさに死のロードになるところであった。
だが、最悪の事態は回避できたので、今夜は安心して鍼灸を受けにタケ先生の治療院に行くことができる。
映画監督、黒木和雄。新作「紙屋悦子の青春」の完成を見届けた直後の4月12日、脳梗塞で急死した。行年75。ドキュメンタリー映画から出発した氏は、晩年、戦争に関するドラマを4本製作した。
●長崎の原爆投下前24時間を描いた「TOMORROW/明日」
●監督自身の戦争体験を映画化した「美しい夏キリシマ」
●原爆投下から3年経った広島の父と子を描いた「父と暮らせば」
そして、今回の「紙屋悦子の青春」。敗戦直前の鹿児島。特攻を志願する若者に恋をする悦子の青春を描いたもの。
今回の番組はこの4本の作品に流れる、黒木の戦争へのまなざしを見つめてゆくものだ。
敗戦のわずか3ヶ月前、昭和20年5月。中学校3年の黒木は勤労動員として、宮崎の兵器工場にいた。運命の5月8日を迎える。その朝は曇っていた。空襲警報が鳴り、黒木や級友らは避難する。その途中飛来した敵機グラマンに奇襲され、10人の友が死ぬ。黒木の横を歩いていた親友宗方周広もその犠牲となる。
「脳天を真っ二つに割られ、私の方に『助けてくれ』と手をさしのべる宗方君を見捨てて、私は恐怖のあまり無我夢中で逃げたのだ。この『裏切り』にも似た私の行為はのちのちまで私の心をさいなんだ。」と黒木は書いている。この体験は黒木のいわゆるトラウマとなったのだ。
この体験が長く黒木の心に影を落とし、やがてそれは映画作品となって、表現されることになった。
黒木の戦争映画に戦場は出てこない。戦闘シーンもない。彼が描きたかったのはそういう非日常ではない。いま生活しているのと同じ日常的な生活が、戦争によって異常なものに変わらざるを得なくなるということを、”しつこく"見つめたのだ。
番組では、最後の作品となった「紙屋悦子の青春」を評論家の加藤典洋氏に見てもらった。試写を見終えたあと、氏は「傑作です」と一言告げた。急死したとはいえ、黒木和雄は達成するべきものを達成して、この世を去っていた。
しつこく、番組の宣伝をしておく。
8月12日(土) 夜10時から11時30分まで。教育テレビ。
ETV特集「戦争へのまなざし~映画作家。黒木和雄の世界~」見て欲しい。特に若い世代に。
父と暮らせば
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