ぬか雨
細かい雨が降っている。各地で水害が出ている。梅雨末期、いちばん危ない時期だ。
長崎で大水害が起きた後、私はいろいろ調査したが、その中で古人の教えというのは侮れないことを痛感した。
昭和57年7月23日、九州北部、特に長崎地方で豪雨があり、長崎県西彼杵郡長与町では1時間で雨量187mmを記録した。この豪雨は九州全域に大きな災害をもたらしたが、特に長崎市を中心とする地域で大きな被害が生じた。市街中心部を流れる中島川、浦上川が氾濫し、各地で土石流、崖崩れ、河川の氾濫などにより多数の家屋が倒壊、あるいは浸水した。この豪雨で、長崎は被害総額3000億円以上の甚大な被害を被った。
3時間で300ミリ以上のすさまじい集中豪雨で、長崎市内の30数箇所で土石流や土砂くずれが起きて299人が犠牲になった。その発生した地域は、実はかつて水害の起きた場所が多かった。そのことは地名に彫りこまれていた。
大きな災害を引き起こした地域、本河内、滑石、鳴滝、川平など。
本河内、まさに河が合流するという意味。滑石(なめし)、川で石が流れるという意味。鳴滝、まさに水が滝のように流れる。川平、川の中洲のようになった平地。
鳴滝はシーボルトの塾があった所で、歴史的にも有名な地だ。こういう地名がそれぞれ付いてはいたが、昭和57年当時にはすっかり宅地化が進んでいて、一見水と関係のない地形に見えていた。そこが反乱を起こしたのだ。やはり、古来から地形イメージを伝えてきた地名は、それなりの意義があったのだ。
町丁名の変更で、本町とか中央町とかつまらない名称になってしまった日本の地名。災害予防のうえでも古くからの地名を残しておくべきだと、調査をしながら感じたことを覚えている。
もう一つ大切なことは、こういう大雨が長く続いているときだ。当然、地盤が緩んでいる。そこへ、追い討ちをかけるような集中豪雨があれば、災害発生することは十分ありうる。そういうときは、周辺をよく自分の目で見ることが大切だ。つい、行政を頼りにして防災無線や防災放送、告知にだけ注意を向けるのは危険だ。災害は具体的な地形で起きる。自分の家の周りをよく見ていることが、変化に気づかせる。大雨だからといって、窓や戸を閉めて、家にこもっていることがもっとも危ない。
私が調べた江戸時代から続く集落では、昔からの言い伝えが生かされて50人余りの命を救うことになった。その言い伝えとは、山が崩壊する前には、必ず川が白く濁る、何か腐ったような臭いがする、ということだ。実際にそれを目撃した住民が隣に伝え、さらに隣に伝えて、いち早く避難した。それから30分足らずでそこで大きな土石流が発生したのだ。
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