定年再出発 |
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森脇浩司
プロ野球ソフトバンクの王貞治監督(66)が胃の腫瘍の手術のために入院し、休養している。手術自体うまくいったようだ。昨日、医師団の会見が行われうまくいったと報告されていた。人格者だけに命長らえて本当に良かったと思う。 王貞治の伝説は少年野球時代から今年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の初代チャンピオン監督まで、数限りないほどある。輝かしい栄光と人に言えない苦悩が半ばする人生を送りながら、けっしておごらず高ぶらない。 王の人生の中でも苦しかったのはダイエーの監督に就任した頃だろう。 1995年から福岡ダイエーホークスの監督に就任。当時のダイエーは前身の南海時代から続く長年の成績不振で、1996年5月9日の近鉄戦で大敗した後、日生球場から出てくるバスにファンの一部から「お前ら、プロか?」と言う罵声と共に生卵が投げつけられた。試合に臨んでもスタンドのファンから辞任を求めた野次を浴びせられたり、横断幕を掲げられる光景もあったりした。 だが、その後ダイエー(2004年まで)を率いて、最強の軍団に作り上げてゆく。その後球団はソフトバンクに変わったが福岡での監督生活は12年目になる。 さて、王監督が休養している間、監督を代行して指揮をとる人物がいる。森脇浩司チーフ兼内野守備走塁コーチだ。彼はWBC期間中も王の代行を務めていて、王からも全幅の信頼を得ている。この人の名前を聞いたとき、あれっと思った。 森脇浩司は、80~90年代に活躍した内野手だ。79年に近鉄に入団。その後84年に広島東洋カープに移籍し87年までいた。その後南海ホークスを経てダイエーホークスに在籍し、1996年に現役を引退している。 広島にいた頃、森脇は同期生であった津田恒美と仲がよかったのだ。二人とも怪我が多く、互いに不遇を慰める間柄であった。やがて、森脇は去り、津田がストッパーとして広島のマウンドに立つ。華やかな球歴を重ねる津田、守備の名手として地味な森安。 その二人が再会したのは福岡だった。脳腫瘍で倒れた津田は救急患者として、済生会福岡総合病院に入院した。平成3年8月7日のことである。 当時、森脇はダイエーの選手で福岡に住んでいた。森脇は暇ができると津田を見舞った。この病院で闘病していてカープを解雇されたときも、失意にある津田を励ました。そして、元気になったらダイエーに来いよと慰めた。津田もダイエーに入団できるよう口ぞえを頼むと頭を下げるのであった。知人の少ない博多の地で、森脇は津田の強い味方だった。 津田はその後奇跡的な快復をして退院する。そして、博多の郊外に親子三人で暮らすようになる。この頃、津田は本気で復活を目指していたのだ。 ところが脳腫瘍は再び悪化して、津田は倒れる。そして平成5年7月20日、津田恒美は昇天した。 とここまで書いてきてびっくりした。明日は津田の祥月命日ではないか。どうして、こんなことを書こうと私は思ったのだろう。これは偶然だろうか。 津田は死去したとき、広島球団を解雇されていたから、所属チームはなかった。彼のことを追悼するセレモニーも何も行われなかった。 3ヵ月後、10月3日の福岡ドーム。ダイエーのホームグラウンドである。津田の遺児、大毅がユニホーム姿で始球式に臨んだ。この演出をしたのは森脇である。彼は大毅に父に代わってマウンドに立たせたいと願って実現したのだ。緊張する大毅に森脇はそっと声をかけた。 「お前のお父さんは、白い板のあるところからあのおじさんのところまで、凄い早い球を投げてたんだぞ」 そして、大観衆の中、大毅は投げた。ストライクだった。 この出来事は関係者以外誰も知らない。森脇も他に語ったことがない。我々の取材でこの事実をつかんだのだ。このことを問うと、森脇は、津田のマウンドに立ちたいと思って果たせなかった願いを息子にさせてやりたかったのだと、慎ましやかに答えた。 森脇浩司という男は、こういう男だ。王監督もいい部下をもっている。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2006-07-19 17:39
| 魂のこと
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