ヒロシマ、ナガサキへ
まもなく8月が来る。
現在、原爆に関する番組を制作中である。昭和57年に、長崎で被爆者と出会って以来20年にわたり、その実体を伝えることを使命と感じて番組を制作してきたが、定年3年ほど前から、制作する機会が減っていた。今年は久しぶりにこの課題に取り組むことができた。
今年の春先に、衛星放送の編集責任Nさんと話し合いをもった。母上が被爆体験をもつNさんは、ヒロシマ、ナガサキそしてビキニに対して人一倍大きな関心をもっていた。彼は広島平和記念公園をもういちどきちんと見直してみたらどうだろうと、重大なヒントをくれた。私はディレクターのSさんとすぐに現地へ入り平和公園が誕生してから今までの事実を洗った。広島の事実はもはや広く流布し、たいていのことは知らされていると思っていたがそうでもないということを実感した。かつ、若い世代にはほとんど伝わっていないということも判明した。
――伝えなくてはならない。
昔、私がディレクターとして取材したときのノートを引っ張り出して、この連休読み込んでいる。今、読んでもドキリとすることが書いてある。
ある哲学者が語ったエピソード。
「日本を旅行した教え子のフランス人女性から、もういちど核爆弾が落されるとしたら、それは日本人の頭上にであろう、という感想を聞かされた。」
アメリカの歴史学者の声
「ヒロシマ、ナガサキの声が西側諸国に届いていない。届いても声は弱い。日本政府や日本人がこの問題について語るのを好まないのではないかと感じる。まるで日本人全体がこの問題で記憶喪失か健忘症になっているかのように思える。」
ある記者の声
「核兵器の威力についてのみ声を高くし、核兵器の人間的悲惨についてまったく語らない彼ら」
アメリカの政治学者の声
「大切なのは、過去について語り続けることだ。ヒロシマ、ナガサキは日本国民全体のメモリーにならなければいけない。と同時に、戦時中に行った日本の残虐な行為についても記憶されねばならないだろう。歴史を忘れると、一つの政策決定がまるでそれ以外に選択の余地がなかったかのように受け止めてしまい、同じ誤りを繰り返す。」
〈原爆をよく理解した、語りつくしたという人がいる。広島のことばかり言っていると、日本を侵略するかもしれない国を利する結果になるじゃないか、そういうことを言う人がいます。
原爆をよく理解した、もう人間はこの悲惨を繰り返さないだろうと、こういう愚かしいことを繰り返さないだろうと、広島、長崎について言える人はいないはず。というのは、現に今も、世界中をいくたび打ち壊してもあまるほどの原爆水爆があるのですから。〉
これは、1986年に大江健三郎から聞いた言葉だ。
大江は直後に受賞したユーロパリア賞のスピーチでこう語っている。
〈私はその文体によって、ヒロシマの破壊を経験した日本人を、またアジアとの和解を希求する、新しい日本人像を文学のモデルとして作り出すことを希望してきました。〉
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