二人の音楽家
審査するために、現在50本のドキュメンタリーを順に試写している。その中にクラシックの音楽家の作品が2本あった。
1本はヴァイオリニストの五嶋龍、もう一つは小沢征爾である。二人とも世界的に知られた音楽家だ。
人間的な魅力はたしかに二人とも凄い。画面を通してでもその人格のオーラが滲み出てくるようだ。
だが才能のある人を対象にした番組というのは、往々にしてその才能の所以が飛ばされてしまう。天才の天才たるところは当人にとって意識の外にあるのだろう。だから、そこを掘り下げたり説明したりはしない。むろん、作品中でそういうことをあからさまに当人がしたら、相当嫌味で観客は引くにちがいない。
だからこそ制作者、つまり取材する人間がそこをしっかり見つめ炙り出す手法をもたないといけないのだ。ところが、この2本はそれができていない。これらの才能ある人と親しく交流しているというだけの関係になっている。
早い話、お仕事しながら美味しい取材をしているというオキラク感を払拭するのは、相当難しいと思った。
小沢の番組で驚いたことがある。中国の若手の演奏家を寄せ集めてオーケストラにするという企画を小沢が立てたときだ。わずかな練習で本番を迎えるというストーリーの流れがある。
最初の練習を終えたあと、団員が去った席の一つ一つを指しながら、ここのヴァイオリンたちは音色がずれていると小沢が一人ひとり指摘していく。一人ひとり演奏させたわけでないのに、40人ほどの全体練習の中で、一つ一つの楽器の音色を小沢は聞き分けているのだ。凄いと思った。
音楽の世界では当然のことなのかな。私のような素人から見ると途轍もないことに思えるのだが。
五嶋龍の録音の場面、超絶のテクニックでエネルギッシュに弾きあげる。若いといっても一回演奏するだけで相当疲労するだろうと思われる。録音をするディレクターやミキサーのほうはOKを出しているが。龍はいまひとつ納得がいかないと2度3度とトライする。そのこだわりを実行するときの彼の爽やかさに驚いた。無敵の天衣無縫ぶりだ。
これは小沢にもあった。
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