門前の小僧
大学の書店にいて、背表紙を眺めていると自分の頭の悪さにうんざりしてくる。
長年関心をもっているのに、なかなか理解できないバルト。たいした量でもないのに読み始めるとすぐ立ち往生するベンヤミン。最新の言説と評判のアガンベン。開かれた学問としてのウォーラーステイン。これらの本がどさりと平積みされている。おそらくこの大学の教師や学生らが読むはずだ。こんなにおおぜいの人が理解しているのに、私と来たらほとんど分かっていない。
自宅の書斎を見ると、同じ本がいくつもある。重なるのはいつもハイデガー、シモーヌ・ヴェイユ、カント。デリダは読みもしないのにバックナンバーだけがそろってゆく。
京大の時計台の下にたち、新緑を眺めながらつぶやく。「何とか現代思想というものを把握したい」
別に見栄でつかみたいと思っているわけではない。やはり学問の知というものは、実務のなかでも有効なことが多いのだ。私らのように映像を専門とする商売では、この100年余りに考えられてきたことから、測りがたい恩恵を得ているのだ。
例えば、ベンヤミンのアレゴリーという考え方。これを深め広げていけば、おそらくヒロシマ問題の在りどころと重なりあうと直感するのだが、私の今の能力ではついていってはいない。
主任のS先生から一冊の新書を教えていただいた。廣野由美子著『批評理論入門』(中公新書) 小説「フランケンシュタイン」の実際の読み方を通して、作品分析の方法論を平易に解説すると、惹き句にある。よし、これを帰りの電車で読みこなそう。
こうして大学の門前にあって習わぬ経を、それでも聞いていると、いつしか忽然とすべてが了解できるような幸運が舞い込まないかなあと夢想する。
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