小児病棟
若い時代からの友人タキさんは川崎にある総合病院の小児科医である。優秀にして円満な人物だが、時折酒を呑んでおおいにはしゃぐことがあった。走れエイトマーンと叫びながら、たった一つの芸「エイトマン」を演じて近所を走り回るのだ。そういうときはいつも最後に泣き言を言ってだらしなく寝入ってしまう。あの穏やかなタキさんが泥酔するなんてとフシギに思っていたら、やがてその理由が判明した。彼が担当していた難病の子供が亡くなったときに、その現象が現われるのだ。不器用な彼は悲しみの感情をどうやってコントロールしていいか分からず、酒を呑んで騒いでいたのだった。
人が死ぬのは悲しい。ましてや幼い子供が苦しんだ挙句死をむかえるのは、耐え難い悲しみになるのだろう。
昨夜遅く、小児病棟の特集番組2時間をDVDで見た。ATP賞にエントリーされた作品ということで、半ば義務として視聴したのだがそこに描かれた世界に圧倒された。1歳児から18歳の少女まで、いわゆる小児専門の病棟で起きた出来事をカメラは凝視していた。登場する人たちはすべて顔を隠していない。中にはこの撮影の途中で亡くなる人もいるが、けっしてその人たちにモザイクをかけたり顔を外して撮影するような術策をとっていない。制作者の姿勢に、好感をもった。
闘病する子供全員に敬意をもつが、なかでも難病で18歳になるまで小児病棟でずっと生きつづけたエリコさんには感動した。精確な病名は明かされていないから、偏見のつよい病気かもしれない。彼女が3歳ぐらいのとき病院へ入ったときの映像が残っていて、それを見ると下膨れの色の白い目のぱっちりした女の子だ。おかっぱ頭で日本人形のようである。
そして18歳となった現在が映しだされる。18歳とは思えない小柄で体重はわずか20㌔しかない。何より顔が大きく変貌していた。色白だった皮膚がどす黒く沈み、豊かだった黒髪は抜け落ちてまばらとなっていた。適切な表現でないかもしれないが、被爆直後のヒバクシャのような風貌となっていたのだ。この15年間にいったい何があったのだろうか。
18歳になって、彼女は施設からの退院を迫られることになっている。病院以外に社会を知らない彼女に前途は何があるのか。彼女は経済的に自立しようと、ベッドで出来る居職としてビーズ細工を熱心に行う。運命を呪うようなことも言わず、黙々とビーズでアクセサリーを作り上げてゆく彼女の姿に思わず落涙しそうになる。
たまに母がやってくる。母は再婚して、近頃子供を産んだ。エリコさんはその母に恨み言一つ言わず、まだ見たこともない妹の誕生を祝福する。
「ぽっかりあいた私のアナをすっぽり埋めてくれて有難う」と彼女は未知の妹に手紙を書くのだった。口先でないのは、カメラは妹のことを語るエリコさんの優しい本当の笑顔をとらえているから。
退院する日が近づいている。自立するために彼女はせっせとビーズ玉に糸を通す日がつづく、と思った矢先、腎臓に異常が発現した。意外なぐらいあっけなく18歳の少女は死んでゆく。マザーテレサのような魂をもつ少女エリコさんはこの世から去ったのだ。
正直に言うと、このドキュメンタリーには不自然なことが多い。はっきりしない病名、家族との関係、院内学級のこと、退院後の人生設計、と一々に説明を求めたくなるほど、構成が荒い。というか、何か言えないものを抱えているのだろうかと勘ぐりたくなる。
おそらく表に出せない事情があるのだろう。表現できるぎりぎりのところで制作者はカタチにしたのだろう。一定の不満はあるにしろ、エリコさんという人格の崇高さに見る側は圧倒され、番組は深い感動を残してくれた。次の朝が早いので寝なくてはと思いつつ、深夜2時まで画面の前から離れることが私はできなかった。
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