悪夢
明け方のまどろみの中で辛い夢を見た。
私は二人の幼いこどもと家に隠れている。時代はヨーロッパの中世か。ゲットと思われる空間にいる。
そこにいるのは辛いがそれでも会話ができたし、退屈しのぎに子供らとゲームも出来た。
ある朝、町に不穏な空気が流れた。私は急いでベッドの下のような狭い場所に隠れた。二人の子供はいないから、おそらくこの場所以外へ逃げたのだろう。私の入った場所は高さはベッドの下ほどしかなく私一人が隠れるのがやっとである。舞台の下のようでもある。資材や大道具が乱雑に放り込まれている。その最下手の機材のちょっとした空きに私は身を潜めた。潜めると同時に支配者がおおぜいの家来を連れて入ってきた。
ゲットの住民は私がそこにいることは知っているが、知らないそぶりで支配者をもてなしている。
そのうち、一人芝居というか朗読劇が始まった。ゲット在住の役者が演じる。大きな声で舞台の上を歩き回る。観客はその舞台のヘリに腰をかけて聴いている。舞台の最上手に支配者とそのとりまきが座り、続いてゲットではない町の人らが座り、一番下手つまり私が潜んでいるゾーンにはゲットの身内たちが座っていた。もちろん住民は舞台の下に隠れる私の存在を知ってはいるが、知らないそぶりでその朗読に聞き入っている。しかし、役者はまさか舞台の下に誰かが潜んでいるとは知らず熱演している。
ときおり、誰かが私のことを気遣って舞台から垂れ落ちている絨毯をめくりあげて空気が流れるようにしてくれる。私が閉所恐怖だということを知っているので、配慮してくれているのだ。誰かというのはもちろん私の身内か支持者である。そのとき、支配者から離れていてかつ死角にいるので私は見つからないが、それでも息を詰めて私は身を堅くしている。
いや余り緊張していると異物があるという気配が漂うかもしれない。そうすると、私がいることが見破られるかもしれない。リラックスして自然体でいないと駄目だ。そう思って狭い空間で体をだらんとさせている。
舞台の上の役者の演技は白熱を帯びてきた。声がひときわ大きくなる。下手へと移動してくる。観客は熱心に聞きほれている。
役者が私の隠れる舞台下の正面に立ってセリフを語っている。名調子だ。そして激したかのように、彼は絨毯をぱっとめくる。隠れる私と目が合う。役者は一瞬ぐっと声をのむ。目を大きく見開く。彼からは私は見えているが、観客とくに離れた上手にいる支配者には見えていない。
やがて役者は言いよどんだことを、すぐに役柄に転じて芝居を続ける。朗々と呪詛のせりふを吐きながら、おもむらに絨毯を元のように下ろしてゆく。私は再び闇の中に消える。芝居はそれから10分ほど続いて終わった。支配者とその家来たちは会場から出て行った。私は助かった。
隠れ潜んでいる間の緊張感、私はこの夢から覚めたときふーっと大きく息を吐いた。助かったのだという安堵が体いちめんに広がった。それまで体を堅くしていたのだ。
なぜこんな夢を京都の旅先で見たのだろう。元型的な夢だとも思えない。
スペイン戦争のエピソードの一つで隠れた理髪師マヌエラの伝記を昔読んだことがあったが、それを思い出したのか。それとも須賀敦子の「地図のない旅」に出てくるベネツィアのゲットのことが頭にこびりついたのだろうか。隠れる恐怖もそうだが狭い場所に閉じ込められるというのは、私の最大の恐怖だから、この夢はほんとうに拷問のような窒息感があった。
この記事は目が覚めてすぐ書いた。イメージが生々しいうちに書いてみたかったのだ。時刻は7時34分だ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング