火をめぐらす鳥・鶯
大江健三郎の後期短編に「火をめぐらす鳥」というのがあって、1991年に書かれている。
伊東静雄の詩に触発されてこの短編が生まれている。その詩の言葉とは――、
(私の魂)といふことは言えない
その証拠を私は君に語ろう
この詩をはじめて読んだ高校3年生のとき、大江は熱い涙をながした。
《身体の芯に火の玉があり、その熱でシュッシュッと湯気のたつような涙が噴出するのに、茫然としながら…》
18歳の大江はこの言葉に強くひかれ、老年にいたってそのときの感情が小説となって浮上してきたのだ。
この短編小説には大江と思われる作家を語り手として、長男光をモデルとしたイーヨーが登場する。脳に障碍をもつイーヨーは幼い頃、外部とほとんど交通しなかったが、鳥の声にだけは反応した。声らしい声をはじめて主人公が聞いたのは、北軽井沢の夕暮れの林でクイナが鳴いたときであった。「クイナですよ」とイーヨーの幼い声がもれたのだ。
物語は、ここから鳥の話へ展開する。
ウグイスの漢字は鶯である。あたまに火が2つ付いている。ホタルの漢字は蛍、これも正字は火が2つ付いたカンムリである。
主人公がホタルを辞書で引くと“火をめぐらす虫”とある。ならば、ウグイスは火をめぐらす鳥ではないかと、主人公は思いめぐらす。
亡くなった、若い頃の友の魂を思い出す。それは私、イーヨー、その友、と三者が重なるようにしてある――…「(私の魂)といふことは言えない」
しかも《その時すでに亡くなっていた友達の魂が、鶯の声のように山や野のいたるところで光を発している。》鶯は火をめぐらすように、光を放つように、歌いながら飛び回る鳥というイメージが動き出してくる。
昨夕、私は海まで散歩に出かけて、この山まで帰ってくると、森の奥から鶯の声が聞こえてきた。夕暮れ、梅雨の晴れ間、小暗い森から聞こえるそれは、亡き魂を思い起こさせた。鶯はまさに火をめぐらす鳥であると、私も実感せざるをえない。
この短編小説のラストシーンは小田急線成城学園駅のホームとなる。そこで、主人公はイーヨーと電車を待っている。
と突然、イーヨーの体が揺れ傾いてゆく。〈癲癇発作〉が起きたのである。そこでイーヨーをかばおうと主人公は手を差し伸べ、そのまま二人は転がり落ちて行く。…
この小説が1991年に発表されたとき、〈癲癇発作〉のような劇的要素は実際にはありそうもないが、フィクションとしては面白いと、私は感じていた。こういう出来事はあくまで「お話」の中でのことと思っていたのだ。
それから3年後、私のチームは大江一家を長期撮影していた。北海道のコンサートホールでのレコーディング風景を収録したときだ。緊張と長旅の疲れで、大江光は〈癲癇発作〉を起した。偶然、私たちのカメラはその光景を記録した。
ゆっくり崩れ落ちてゆく光、必死で支える母。そして、やや遅れて下半身を確保するディレクターのケンスケ。…
この小説で書かれたことは、在り得ない話ではなかったのだ。光を襲った暗い影は、傍から想像するものの数十倍深く大きなものであったと、後日ケンスケは私に教えてくれた。
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