「洗面器」解題
金子光晴の「洗面器」という詩を読んだことがあるか。
洗面器のなかの
さびしい音よ。
くれてゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊(とまり)。
ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。
洗面器のなかの
音のさびしさを。
金子の絶唱だ。これを読んだとき無前提で、心をもっていかれた。しばらくたって冷静になると三好達治の「春の岬」のような端正を感じた。タンジョンとは朝鮮語かしらむ。ああ、くれてゆくタンジョン。ちょうど今頃の梅雨期の岬だ。能登か全羅南道か、・・雨が降る。
洗面器のなかの音とはしゃぼりしゃぼりという音だ。なぜ、その音なのか。
金子はまえがきでそう書いているのだ。
(僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思ってゐた。ところが爪哇人たちは、それに羊や、魚や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓木の木陰でお客を待ってゐるし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、標客の目の前で不浄をきよめ、しゃぼりしゃぼりとさびしい音をたてて尿をする。)
…なんと言ってよいのか。カ・ネ・コ・ミ・ツ・ハ・ル
くえないこの親爺が、後年、『若葉よ、来年は海へ行こう』などという、とてつもなく美しい孫のための詩を書くことになるのだが。
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