自慢話
発掘された藤沢周平の短編を読みたいと、文春の[オール読物」を購読した。
中に、酒井順子の連載エッセーが目に留まった。今月の御題は[自慢のマナー]とある。冒頭で、井上ひさしの言葉を挙げている。
「エッセイとはすなわち、自慢話である」
そして酒井自身の結語あたりに、耳の痛いことを記している。
《ブログもエッセイの一つであると考えるならば、今は誰もが自慢話を書いて「すごーい」とちやほやされたい、自慢欲求が過多な時代。》
うむ、そういうことか。
酒井という人はさすが売文を生業とするだけあって、本記ではなかなか面白いことを書いている。自慢の分類をしているのだ。大きく4つに分類している。
過去自慢…昔、オレはこうだったのだ、という自慢。
係累自慢…先祖の自慢や家族の自慢。
思われ自慢…のろけ
逸物自慢…
「負け犬の遠吠え」などという挑発的ベストセラーを書いた人だけあって、大人の会話(つまり猥談)もさりげなく導入してくるのだと期待して、「逸物自慢」を読んだ。
この自慢は自らの立派な持ち物を、自慢すると酒井嬢は定義する。のっけから切り込んでくるなあ。
例えとして、ポルシェを持つ男の自慢を取り上げる。
なんだそれは、と不満な私。
この自慢のネタになるのは、物品だけではありませんと、酒井嬢の話は展開する。そうか、ここから本題かと私。
例えとして、ミニスカートをいつもはくのは美脚を自慢していることになる、と酒井嬢は記す。それで終り。そこから結論に向って文章は進んでいった。
なんだ、大人の会話ではないじゃないか。
こんな愚にもつかないことを、早く目が覚めて退屈だからといって、早朝6時にブログに書き込んでいる私は、やはり自慢しているのか。
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