ピアニストよ、撃て
今年はモーツァルトの記念年ということで、クラシック音楽がいろいろと話題になっている。
幼稚園時代、正座して聞かされた「アベ・マリア」が退屈でしかたがなかったことが災いしたのか、なべてクラシックは好きではない。あまり聴かない。
こんな私でも海老彰子さんの演奏だけは例外である。この人のコンサートにも行くしCDも聴く。そしてその超絶のピアノ演奏に感動することはしばしばある。
海老彰子は日本とフランスを代表するピアニストである。広島大学付属高校を卒業し東京芸術大学入学後、すぐに日本音楽コンクールで優勝する。その後フランス政府給費留学生としてフランスへ渡った。パリ音楽院を卒業、ロン・ティボーコンクールでグランプリと同時に4つの特別賞を獲得、ワルシャワのショパン・コンクールでの入賞をはたした。フランス政府から芸術文化シュヴァリエ勲章を受勲、パリ市の名誉市民賞メダルも受けている。現在、日本ショパン協会理事を勤めている。
海老さんとの出会いは大江健三郎さんの番組に出演していただいたことからだ。1990年夏に放送した「世界はヒロシマを覚えているか」という番組で、ピアノを弾いてもらった。
番組の主題を、大江光さんに作曲してもらい、そして出来たのが「広島のレクイエム」という曲。これを演奏したのが海老さんである。広島の悲しみがそくそくと伝わるような素晴らしい曲を、海老さんは豊かに表現してくれた。以来、親しくなった。
彼女の演奏は、精確無比にして緻密で知的だ。ある評論家は「演奏者独自の閉じられた世界の存在を強く感じるのも事実である。ある種、結晶された世界があり、迷いが無いという点で、シンプルで美しい。」と評価する。
素顔の海老さんは童女だ。天真爛漫で屈託がない。いつもけらけら笑っている。
こんなことがあった。
1994年秋、ノーベル賞を大江さんが受賞したときだ。受賞者とその家族はストックホルムホテルの特別室に宿泊する。私もそこに部屋を取り、大江一家の一部始終を撮影した。
到着して2日目から、光さんは特別室の出窓に座ってせっせと楽譜を書き始めた。どうやら作曲しているようだ。
次の日、夕刻に海老さんがホテルに現われた。大江さんとその家族にお祝いを言うために、パリから飛んできたのだ。わたしたちは再会を喜んだ。そして私は海老さんに、光さんが作曲しているようだと告げた。海老さんは嬉しそうな悪戯っぽい顔を見せた。
光さんの曲が出来た。タイトルは「海」となっていた。ホテルの窓からバルト海の紺碧がよく見えていたのだ。その海のように大江さんが大きく穏やかでいてほしいという願いと受賞を祝う曲として、光さんは書き上げたのだ。
早速、それを聴いてみたいと私は思った。海老さんに演奏を依頼したところ快い返事をもらった。私はすぐグランドピアノを探した。ある芸術学校で使用許可をとりつけた。私は光さんと海老さんをそこへ案内した。そして、演奏してもらったのだ。ゆったりとした明るい曲で、海老さんの指先からこぼれてくる音に、私は撃たれた。
この演奏を、私のカセットレコーダーで録音して、後刻、光さんが大江さんにプレゼントした。この演奏を聴いたとき大江さんは実に嬉しそうだった。
この出来事の一部始終を、私は撮影し、帰国後ETV特集で放送した。
海老さんとの仕事で忘れられないのは、その夏に広島で開かれたコンサートである。大江光のコンサートと銘打たれた演奏会に、フルートの小泉浩さんといっしょに出演して、素晴らしい演奏を広島の人々に聞かせてくれた。広島は、海老さんが少女時代を送った思い出の町でもあった。
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