清貧に生きた人①
今月号の「文藝春秋」に、2004年に亡くなった作家中野孝次の「ガン日記」が掲載されている。
思うところあって、最近中野の3冊の本――「ひとり遊び」(1990)「贅沢なる人生」(1994)「五十年目の日章旗」(1996)、を続けて読んだ。
存命中は、中野の『清貧の思想』などという本がベストセラーになったと聞いて、どうせ処世の書だろうと思って読むこともしなかった。
とは言っても早い時期の中野の仕事には注目していた。「ブリューゲルの旅」には驚き、自伝的小説「麦熟るる日」を読んで主人公の少年の健気さに感銘していた。だが、その後はなんとなく人生論めいて説教くさく頑固そうな「爺様」と敬して遠ざかってきた。
最近になってエッセーを偶然ひとつ読んで、今までの認識を少し変えたほうがいいかなと思った。そこで3冊を目黒図書館の書架で見つけいっきに読んだのだ。この3冊の中で、特に「五十年目の日章旗」は胸につよく響いた。
そんな矢先に「ガン日記」が登場した。
「文春」で、中野の最後の原稿73枚が「ガン日記」と題して発表されたことを知り、昨夜購入して車中で通読した。
ガン告知から入院までの一月余りを日記として中野は書いている。
直前に、最後の刊行書となった『セネカ 現代人への手紙』を脱稿したばかりの影響が濃く、日記の中にセネカの言葉がたびたび引用される。その語句に私はひかれた。
セネカの言葉――「誰かに起こりうることは、誰にでも起こりうるのだ」
中野は自分の境遇に引き付けてこう解釈している。《誰かがガンにかかったなら、あなたもガンにかかりうる。それをなぜあなたは自分だけはそんなことが起こらないと思っていたか》
セネカは、人生はどこで打ち切られようとも、わが人生に何一つ欠けたるものはないと言い切ったと、書いた中野はその言葉を病床から離さない。
この日記は闘病ではない。むしろどうやって病と闘わないかを苦心している。大病院の薬付け医療の悲惨な最期を避けたい、余分な治療をほどこさず自宅で静かに迎えたいということをどうすれば実現できるか、中野は衰えてゆく肉体をみつめながらこの問いを考えつづけている。
そうやって自分の信念のようにして自宅療養を選択してきた中野に、ある日忽然と別の考えが浮かんでくる。
こうして我(が)をはって生きている自分の傍らにあって介護してくれる妻はどれほど苦労を耐えていることだろうと、その心情を思いやるのであった。苦労とは肉体的なことではない。少しでも改善の余地があるなら放射線治療も受けてほしいと願う妻の気持ちだ。思ってもそれを中野に言うこともしない妻の精神的な苦労だ。
ここに至って、中野は入院することを決意する。
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