日和下駄
今朝寝床の中で永井荷風の『日和下駄』の出だしだけ読んで中断した。
大磯の家をリニューアルするための業者がやってきたのだ。この工務店は品川から来るのだがきちんと始業の8時前には現場に入る。親方の躾がいい。だから、施主の私も協力しなくてはと早起きしたのだ。大磯の家も立って12年になる。エーゲ海風コテージも湿気の多い湘南には合わない部分(例えば窓枠)もあって一部補修することにしたのだ。
さて、荷風の書だが、以前から安岡章太郎、川本三郎らが褒めちぎるので入手はしておいたし、ぱらぱらと目を通すことはしていたが、なぜか心に留まらなかった。
だがどうしたことか、今朝の読書で心を奪われた。
「日和(ひより)下駄」とは雨の日に履く下駄の一種。日和下駄は足駄より歯の薄い(低い)下駄で、もとは雨上がりのぬかるみを歩くときに使用したと言われる。つまり、雨でも晴れでもぶらぶら闊歩するという意味で荷風はこの言葉をタイトルに用いたと思われる。
荷風は東京の街を日和下駄をはいて蝙蝠傘を手にしてぶらぶらかろころてくてく歩く。歩いて何気ない光景に立ち止まってそれを味わって喜んでいる様子が伝わってくるのだ。
古来、江戸の武士町人は名所旧跡を愛したが、それも江戸軽文学が登場してからで、戯作者の気質にならないとこの趣味は理解できまいと、当人も戯作者気分で書いている。この気分が本書から流露しているのであろう。
日和下駄と蝙蝠傘はパリのような街と違って天気が変わりやすく、道路事情が悪い東京には、うってつけのスタイルと荷風は自賛する。
私の育った北陸では弁当忘れても傘忘れるなと言うほど雨が多く湿気が高い地方で、それに比べて表日本の東京は乾いた地と思うが、荷風に言わせるとそうでもないようだ。何といっても、荷風は人よりも早く欧米に渡り4年にわたって実際に暮らしたことがあるから、日本の湿度事情も体で感じているのであろう。
たしかに世界には乾燥した地域というのはある。カリフォルニアへ3日滞在すれば乾燥した空気で唇がバリバリにひび割れてくる。9月のロスでさえ肌クリームが必要であった。ましてネバダの砂漠はドライヤーの温風の中にいるようなものだった。
だがヨーロッパではスペインをのぞいては、そうは感じてはいない。ロンドンもパリも乾燥していると思えなかった。特にロンドンは陰鬱な雲が垂れ込めて今にも降りそうな気配がたえずあって湿度も高そうであった。そこで疑問がわいてくる。
ロンドンでは靴のまま入って絨毯を踏みしめても、部屋が汚れないのはなぜだろう。カビが生えないのはどうしてか。それが理解できないのだ。ウェールズのブリストルなどという町へ行ったときはまさに雨季だったが、日本のような黴が生えているような光景は目にしたことがなかった。この辺の事情がどうも理解できないのだ。
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