アンネ・フランクさん
敬愛する評論家が、荻窪の白頭山で焼肉を食べているとき急にポツリと言ったことがある。
「女性の生理の日を、アンネの日と呼ぶのはひどいなあ」
そのときは変なことを考える人だとしか思っていなかった。だが後になってナチのあの残虐を知るほどに彼が言ったことの重大さに気づく。
先年アムステルダムを訪れたとき、アンネ一家が潜んでいた隠れがの住居を見学した。よくこんな狭く息苦しい空間に何年も姿を隠したものだと、感動するよりその精神力に驚嘆する気持ちのほうが強かった。
戦後、アンネの父は再婚し新しい家族をもつ。若い頃、この出来事を私にはどうしても承服することができなかった。あれほど苦しみ健気に生き抜いたアンネたちがガス室に消えたのだ。残された父はせめて再婚はせず、亡き娘たちの冥福を祈りつづけていくべきではないかと20代の私は思った。
私も50代の後半になって人生のことも一応分かった年齢になれば、アンネの父の気持ちも分かる。
ということはできない。今も父の所業に引っかかりを感じている。
父よ、あんたはアンネやその姉、アンネのボーイフレンドが咎なく理不尽に殺されたことを知っているくせに、自分だけ新しい生活を始めるなんて。と責めたい気持ちがある。父を弾劾したい思いは今もある。だが、だからと言って、そもそも私にそんな権利はあるわけない。
もう一つの不条理。あれほど苦しんだユダヤ人が、なぜパレスチナの人たちにあれほど残酷なことができるのだろうか。先週も軍艦からの誤爆でパレスチナの無辜の民衆が犠牲になった。そういうことをやっておきながら、イスラエル防衛という大義を理解してほしいと国際世論に向けていうことは無理だろう。国際社会の中でその正当性は誰も認めないだろう。
ハリウッドで反ナチの映画が製作されても、現在のイスラエルの傲慢が脳裏に浮かんで、映画に共感することができなくなりつつある。
イスラエルの右派の人たちよ、和平ということを本気で作り出す気があるのか。アンネの受難をどう考えているのか、聞いてみたい。
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