男のくせに
古い世代だからか、まだ男、女の“意識”が私は強い。その一つが男のくせに悲しいとか涙を流すとか言ってはいけないというのがある。私の場合、長男ということも加えられた。「おにいちゃんのくせに」と何かにつけて言われた。だから、その殻を破りたいとこのブログでもセンチメンタルで“めめしい”ことを書くことを厭わなかった。
清水宏監督の「母のおもかげ」という映画を見てぼろぼろ涙を流したと、川本三郎が書いている。母を失くした少年が主人公の映画だ。父が再婚して新しい母が来る。新しい母は優しくよくしてくれるのだが、そうされればされるほど、少年は亡くなった母に申し訳ないと思うのだ。2つの感情の間で揺れて悩む少年の心を思って、川本は泣いたのだ。
川本がぼろぼろ涙を流すほどの理由はもう一つある。同じ清水監督の「しいのみ学園」に対する思い入れがあったのだ。
養護施設「しいのみ学園」に一人の知的障害の男の子がやってきた。親からじゃけんにされて入所することになったのだ。心やさしい少年はここで安住の地をみつけ園の歌を愛唱するようになる。♪しいのみ学園は・・・。
だが運命は彼をそのままにはしてくれない。いろいろな苦難が襲い挙句雨にうたれて肺炎になってゆく少年。死んで行くとき少年は、覚えた歌をかぼそく歌いながらみまかるのだった。
この主人公を演じた子役が「母のおもかげ」でも演じていて、2つのイメージが川本の中で重なり、川本の胸をかきむしったのである。
温厚で心優しい川本の悲しみは分かるとしても、気難しく狷介な作家中野孝次の悲しみとなるとまさかと思ってしまう。
ベトナムかタイか、東南アジアの国を中野が訪れたときだ。ライチーの実が木によくなっていた。
その木の下で机を置いてライチーを売っている幼い子供たちがいた。姉妹らしい。二人は大きな売り声をあげるわけでもなく机にライチーを並べて黙って通りを見ていた。中野は一山いくらだと聞くと10円にもならない額なので、50円ほどあげた。
すると、二人はこんなにはもらえないと、きっちり金額だけをとって再び机の前に座った。
その実を口にすると熟して甘かったと中野は覚えている。夕暮れの通りで机を前にしてだまって座っている幼い姉妹を思いだすと悲しい、と中野は書くのであった。
この文章たちを読むだけで胸がいっぱいになってくるのだ。めめしいのは他の誰でもないこの私だろう。男のくせにというフレーズが脳裏をかすめるが、いいじゃないか男だって悲しいときは悲しいんだ。
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