原民喜・夏の花よ
原民喜は8月6日自宅で被爆して爆心から郊外の村まで逃げてゆく。その生々しい体験を描いた作品が「夏の花」である。
被爆する1年前に東京で原は妻を失くし、故郷広島に帰っていた。新盆に墓参しようと“夏の花”を求めることから記録は始まっている。
この人は虚弱で腺病質だった。対人恐怖の傾向がある。学生時代にプロレタリア運動に共鳴するが、その戦闘性についていくことができない。やがて故郷からしっかりものの娘が妻となってやって来る。彼は妻を頼った。口下手で人付き合いの苦手な彼にとって妻は千万の味方を得たと同じだった。
その妻が戦時中に病死した。原は生きる道を失った。絶望して故郷の広島の町へもどったのである。
そしてお盆が近づき妻の墓参を考えていたある日、原は原爆投下に遭遇するのだ。
妻の死は彼にとって精神的な死をもたらした。彼はもはや死者の側にいたのだ。その死者のまなざしで8月6日に広島で起きたことを冷静に克明に見つめている。
天は彼をして原爆の証言者として故郷に呼び寄せたのではないかと思えるほど「夏の花」はよく書かれている。原爆文学の一つの頂点として名高い。
原爆ドームそばにある原民喜の文学碑。
『遠き日の石に刻み砂に影おち
崩れ堕つ 天地のまなか
一輪の花の幻』
この一文は被爆以前に書かれたことに注目したい。難解なイメージだが天地の真ん中が裂けて崩れ堕ちるという「終末」を予言したとして有名だ。
原爆のきのこ雲の下で地獄絵図が展開したとき、何万という犠牲が苦しみのなかにあったとき――そのまなかにあって原は「一輪の花」を幻視していた。
かつて、この「夏の花」を題材にして私は番組を制作したことがある。「作家が読むこの一冊」というシリーズで、作家の小川国夫さんが「夏の花」を朗読するという番組だった。小川さんはこの作品のもつ超越性を高く評価していた。私はこの番組化で広島の町や川を撮影して歩いた。
それから5年後の1994年に、原民喜の親族を描いた番組も制作した。「永遠のみどり~語り継ぐ一族~」。
原の一族は広島の旧家で繁華街に住んでいた。原爆が炸裂して親族の過半がその犠牲になった。そして、今でも一族は夏になると原民喜が作詩した「永遠のみどり」という歌を合唱するのであった。その歌は、広島のデルタに緑うずまけ、という言葉から始まる。
今日6月6日、原爆の月命日だ。あと2ヶ月でまた61年目の原爆の日が来る。今のこの街にはあおあおとした緑がうずまいている。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング