ドッグイヤー
大伴昌司が正体をできるだけ隠したのは有名だが、彼の「顔」もなかなかくっきりとは像を結ばない。
メキシコ時代の愛くるしい大伴のライカ撮影の写真がある。戦前から父は8ミリ撮影機を所有していたこともあって、幼い頃の大伴の肖像は動画静止画ともによく残っている。
幼児の頃は写真が数十枚残っているが、少年になるとほとんどなくなる。母によれば小学校3年生までは誕生日の記念写真を撮られていたが、その後からしだいに嫌がるようになったという。
いわゆる「醜貌コンプレックス」があったわけではない。自分の存在が認知されることを嫌がったのだ。思春期に入ると、この傾向はさらに強まった。サークルなどで記念写真を撮るときでも、大伴は顔を伏せるかそっぽを向くことが多かった。
やがて慶応の大学院に進学して“フーテン”暮らしを始めると、その写真は極端に減る。ほとんどない。どこで何をしていたのか誰も知らない。当時出入りするようになったテレビ局、雑誌編集部、浅草ストリップ劇場の楽屋、ここでの痕跡は一枚もない。
やがてSF作家クラブの事務局長になると、その付き合いであちこちに出かける。その折には記念撮影の輪に入っている。若い作家たちのなかでもひときわ大伴は若く写っている。いかにも慶応ボーイだ。だが2,3人の少数写真ではここでも顔をそむけている。
30代になりSF評論家として雑誌の対談に出るようになると、顔写真が撮られるようになる。ここでは一見温和そうな表情が多い。だが、巻頭図解の仕事が始まり昼夜を問わない仕事ぶりになると、彼の顔は刻一刻と変化する。急速に老けていくのだ。晩年の3枚の写真を見てみる。
有名な大伴の肖像写真。30代前半か。額が広がり始めているが表情は生き生きとして活気にあふれている。
亡くなる直前の写真。髪が長く伸びている。やや疲れた表情で、こころなしか老化が進んだように思える。

そして、最後に急死して週刊誌などで報じられたときに使われた写真だ。とても36歳には見えない。50半ばを過ぎた人生に疲れた人物に見える。

普通の人なら70年かけて生きる人生を、大伴はその半分で終えた。彼の1年は常人の2年に値したのではなかったのだろうか。「犬の年」ではないが、恐ろしく早い人生だった。
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