天文博士、天文台、阿部一族
北山茂夫著『壬申の乱』(岩波新書)を読んでいる。あらためて、古代史恐るべしと感じる。
1400年も前に起きた出来事が、まるで近年に起きたかのようにことの経緯がひも解かれているのだ。
詳細は後刻に譲るとして、大海人皇子こと天武帝はおもしろい人物だ。いや、実際に会えば相当のカリスマ性を発揮しまわりを圧倒する人であろうことは、記紀の記述から知れる。
この人は天文、遁甲をよくしたという。遁甲とは忍術のようなもので、人心を怪しく惑わしたようだ。事実、戦いの最中に占いの儀式を立てて、戦争の帰趨を予言などしている。おそらく道教の1手法であったらしい。道教は天武持統時代に大きな意味をもつというのは近年古代史の中で常識になりつつある。
そして天文に通じていたという。これは重大な案件だ。彼が天武帝時代に初の天文観測施設を建設している。彼が統治したとき全国にかなりの数の神社を建立している。奈良の天河神社もその一つだ。天河―まさに天の川ではないか。星々に大きな関心をもっている。こんなことは一画にすぎない。
彼が建設した天文施設はどこにあって誰が所管していたのだろうか。むろん藤原京のあった明日香村の域内であるにちがいないのだが。
そこで、話が飛躍する。私の推論だ。
例のキトラ古墳は内部に天文図を保有していた。むろんこれが天文台というのではない。ただその施設に関係のあった人物の墳墓がキトラではないだろうか。
キトラのあった山は阿部山。このあたりに渡来系豪族阿部御主人(あべのみうし)が住んでいた。彼は壬申の乱で途中から功績のあった人だ。彼が渡来系であることにまず気になる。キトラ天文図は改めて書くがおそらく高句麗から伝承されたものだ。阿部一族と関係があったのではないだろうか。この阿部一族は平安時代になると天文博士の身分となる。この中から有名な安部晴明も出現してくる。
キトラ古墳の謎はこの阿部一族とおおいに関係があるのではないだろうか。これを解くにはまず時代背景としての天武持統時代そして壬申の乱を知る必要があると思って、本書を読んでいるのだ。
天文図については、わたしたちが最初に仮説を立てたのだが、その顛末はわくわくすることがあった。まるで「ダヴィンチ・コード」だった。それは稿を改めたい。
さて、本書の著者北山茂夫は四月にブログに書いた松尾先生の恩師だった。そうだ、今度松尾先生にも意見を伺ってみよう。
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