2007年問題
2007年問題って、団塊世代の定年問題だけだと思っていたら他にもあった。
出版界でこれは大きな問題なのだ。出版全体の広告費をインターネットのそれが上回る年になるということだ。ラジオの広告費は昨年越えられたが、出版は当分先と見られたのが早まっている。それも凄いスピードで。
この事件はいわゆるお金の問題で、出版業界の金回りが悪くなるという程度にしか考えていなかったが、ちょっと待てよと立ち止まる。
広告収入がインターネットに流れるということは、それだけ大勢の人の目にウェブの中身が触れているということだ。いきおい、インターネットの言説や表現が人々に与える影響が活字より大きくなるということだ。
当たり前のこととはいえ、このことはいままでパスしてきた。どうせ金儲けを考えている人らの関心でしかないと捨て置いた。が、問題の本質はそこではない。
ものの考え方、流行、世論にテレビと同じほど影響力をインターネットは持ち始めるのだ。そうなると、善意の顔をして検索に手助けしているといった、GOOGLEのようなサイトは静かに黙って大きな力を持ち始めるだろう。
膨大な量で飛び交うインターネット情報は、次の段階として価値評価の仕組みが意味をもつことになるのだろう。
ある情報が、他の類似情報より優れているまたは劣っているという「審級」が大切になるのだ。どんな方法で誰が取材して書き上げたのか、誰が判断したのか、挙句その情報はどれほど役に立つのか、お得なのか、ということが情報をめぐって問われるに違いない。GOOGLEのような巨大検索システムはワードの使用頻度のような数量化で、それに応じるだろう。だが、その人にとって大切な情報というのは、そういう形では捕捉できないのではないだろうか。
私自身の仕事に引き付けて考える。番組の取材は昔に比べて圧倒的に情報量が増えた。メインの話だけでなくいろいろな要素を付け加えることも、ウェブの世界に検索をかければ難しくはない。しかも誰でもできる。たいして経験のない若いディレクターたちでも気のきいた話をつかむことも可能になった。
だが、それらを一つの作品に構築することはできないのだ。あふれる情報を整理し審級し、一つの流れ、体系にするのが若い世代にはできないのだ。
まず取捨の選択ができない。良し悪しの判断がつかない。あふれかえる情報におたおたしてその中で溺れていることになる。やむなくマニュアル化した構成によりかかる。どれもこれも同じような「物語」になる。事件事故のニュースですら常套化した物語にして表される。
最近の番組は情報は多いが何も心に残らないのが多い。おそらく作り手の側に「思い」が希薄なのだ。これを言いたい、伝えたいというメッセージがないのだ。そういう暑苦しいものはいらないと、若い世代は考えているかもしれないが、その情動がないような情報はただのシットだ。
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