教会へ行こう
日曜の朝、母を教会に連れて行った。病気になって以来ずっと欠席していたので、母にとって2ヶ月ぶりの出席となった。
教会へ母が通い始めたのは娘時分からだから、かれこれ70年の信仰生活となる。洗礼を受けたのは京都五条坂教会で、敦賀来てからも教会には欠かさず通ってきた。
玄関で、母は木谷牧師と会った。突然の来場で少し驚いていたが「元気になられてよかったですね。ずっとお祈りしていました」と声をかけてくれた。聖堂に入ると、あちこちから声がかかり母は嬉しそうに答えている。この週はペンテコステ(聖霊降臨日)の1週前にあたる。母は封筒に『感謝献金』と書いて大事そうに聖書の上に置いた。
1時間たらずの礼拝に、私も久しぶりに列席した。会堂の窓はすべて開け放たれていて、遠く天筒山の緑が見える。子供の頃、教会の席に座っていて五月の薫風を楽しんでいたことを思い出した。オルガンの音色がここちよい。
終わって食事会があるというので、母に参加するよう勧めて、私は町をぶらぶら散歩することにした。商店街は軒並みシャッターを閉めている。大型郊外店の進出で旧市内の「老舗」はほとんど商売ができないらしい。内池タネ店、オリエント楽器店、宮本スポーツ品店、千田書店、どれも人影がない。
T理髪店をのぞくと同級生が店の親父となって座っていた。客がないのか手持ち無沙汰な様子。だが子供の頃の陽気な面影はなく、頑固そうな目つきで往来をにらんでいた。なんとなく声をかけそびれ、店を素通りした。
ふるさとは懐かしくも悲しいものだ。昔流行った歌を思い出した。「故郷よ、おまえはにくいやつ」♪思い出なんか一つもない、という歌詞だった。
今朝、実家を出て駅に向かう前、亡父の祭壇に手を合わせると、そこに『信徒の友』6月号がそなえてあった。母が毎月短歌を投稿しているが、病気で今回は出来なかったのではと思って開くと、入選句として選ばれていた。
主のみ声聞かせ給えと祈る日に 耳少し遠くなりゆくわれに
迎えの車に乗って実家を去るとき、母はいつも往来に立っている。照れくさいから家に入れと言っても聞こえないふりして立っている。車が角を曲がるとき振り返ると、ぽつんと母が立っているのを見ると、うしろめたい気分が残った。
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