柏倉康夫さん
京都はうす曇り。授業を終えた昨夜、主任教授のS先生と食事をした。
先生との会食は楽しい。先生と話していると、私の本職テレビ屋の世界とは違うアカデミズムの世界に少し浸ることができるから。今年の後半は先生にも大学にもいろいろ協力していただく計画が私にはある。そのプロジェクトはまだ内緒だが、楽しいことを予定している。
S先生から近来稀な快挙を聞いた。柏倉さんが京大で博士号を先ごろ取得され、一昨日授与式にご夫婦で列席されたというのだ。とうとう氏は所期の思いを達成されたのだ。
柏倉さんはS先生の前の主任教授。京大に20世紀学という新しい学問分野を立ち上げるという功績のあった人。
ところが本来学究の人ではなく、私と同じ放送局の出身だ。テレビの世界でおおいに活躍した人なのだ。報道番組のディレクターとして事件事故の番組を担当した。福岡局に配属になった新人時代には、「よど号ハイジャック」事件に遭遇し活躍したこともある。
氏は東大のフランス文学出身、大江健三郎さんの後輩にあたる。以前にも書いたがこの仏文山脈には錚々たる人が並ぶ。氏の口癖はあの鈴木信太郎教授の祝詞のようなフランス語でマラルメ講読の講義を受けたということ。テレビの世界で活躍しながら学問の世界にもしっかり根をおろしていた。放送局に入社後も家に戻れば氏はマラルメ研究を続けたのだ。
ディレクターでありながら、氏はパリ総局の特派員となる。特派員は元来放送記者が選ばれるのだが、氏の取材力と語学力が評価されたのだ。
文化情報を次々に日本へ紹介する。でも休日となれば、セーヌ河岸の古書街に足を運びマラルメ関係の書やモノをせっせと収集していた。バカンスはマラルメゆかりの地を家族を連れて歩き回ったという伝説がある。
帰国後、辣腕のプロデューサーとして活躍するが、氏はもう一つ大きな才能があった。話がうまく滑舌がいい、さらに声がマイクに乗りやすいというキャスターの資質があったのだ。それを買われて、「土曜リポート」という看板番組のキャスターになる。以後、退職まで解説委員、ETV特集のキャスターなど要職を次々にこなし、57歳で定年、テレビ局を去った。
そして、第2の人生を京都で始めた。京都大学文学部の教授に華麗な転身。そこで、長年研究していたマラルメを中心とするフランス文学の教鞭をとることになったのだ。そして3年前にそこも定年となるまで勤め上げ、しかも新しい学科まで立ち上げるという大きな実績を残したのだ。
この京大退職のとき、柏倉さんは私に大学で教えてみないかと誘ってくれたのだ。微力ながら柏倉さんの切り開いた道を私も歩むことにした。今年もまた京都へ通うことができるのは柏倉さんのおかげだ。
昨年、氏が博士を目指して論文を書き上げたという噂を聞いた。60代半ばとなりこれまでも十分な実績を挙げたにもかかわらず、学問においてきちんと筋を通したいという、柏倉さんの純情を思った。
そして、このたび柏倉さんは文学博士になった。後輩として本当にうれしい。
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