後には風が吹くばかり
少年マガジン編集長内田勝は、打ち合わせのため池上にある大伴の仕事部屋を訪れたのは6年間で100回は下らないだろう。むろん、そのときは仕事部屋の隣に実家があるとも知らないまま通うことになったのだが。
部屋の中は風変わりだった。5個以上の掛け時計が時を刻んでいる。10を下らない数の懐中電灯が机、本棚、壁、階段脇などそこかしこにぶら下がっている。大伴は異様に地震を怖がった。もし襲来して停電になっても脱出できるように、懐中電灯を備え家具には夜光塗料のシールを貼っていた。偏執的なものを内田は感じた。
打ち合わせも型破りであった。机をはさんで大伴と内田が向かいあう。大伴は手を動かせて下図やロゴを描きながら内田と巻頭図解の新しい企画について相談を練るのだ。傍らのテレビは音を消して画面だけが生きている。内田の背中にはスクリーンがあって16ミリフィルムが投影される。たいていコマーシャルフィルムかSF映画がこれも音なしで流れている。ご自慢のステレオにはLPレコードが掛かって音楽が流れている。ラジオからは深夜放送が絶え間なくトークが聞こえてくる。
大伴は内田と会話しながら、手を動かして画を描き、耳はレコードとラジオに傾け、目は内田を見たり画を見たり映画やテレビの映像を見たりするのだ。聖徳太子ではあるまいし、一度にいくつものことを同時に行うのだ。
人の話を聞きながら他のことをやっているという無礼ではない。
内田は口には出さなかったが、大伴が痛ましいと思った。「なにか、この人は焦っている、生き急いでいる」――。
明け方近くなって疲れると、大伴は内田を2階の座敷に招いた。そこに夜具などない。座布団を二つ折りにして枕にし、また向かい合って企画や人の噂をするのだった。内田はこれを「トモさんの千夜一夜」と呼んでいた。
夜が明けると内田は帰ってゆく。まるで「後朝の別れ」ではないか。タクシーの拾える国道まで大伴は送ってくる。
タクシーに内田が乗り込むのを見ると、大伴は「では、また昼過ぎに社で」と言い置いてきびすを返して帰ってゆく。サンダルでとぼとぼ帰る姿を見ながら、風呂も台所もないあの家に帰ってどうするんだろうと内田は半ば心配しながら不思議に思っていた。
内田は知らなかったが、大伴は隣の実家に戻り仮眠をとっていたのだ。興奮して眠れない大伴の話を母アイはよく聞かされていた。内田編集長とは波長が合うし、二人でやりたい仕事があるのだと、夢見るように大伴は話していた。内田は母アイを知らないが、母は内田をよく知っていたのだ。
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