大伴伝説に見直しが必要
大伴昌司の伝説がかなり流布したので、今一度最初から彼の人生をたどっていくことにすると、かつて私はこのブログで大きな啖呵を切った。そしてこれまで一応取材をして彼のプロフィールを把握したつもりでいた。ところが、どうも私の捉えた大伴はかなり実像と違っていたようだ。このことを昨日痛感することがあった。大伴の盟友、少年マガジン元編集長内田勝の真摯な証言によって、私たちはその大伴像を大きく修正するべきではないかと、思うに至ったのだ。
彼は難しい人物だということは、内田も出会った当初から感じてはいた。だがけっして嫌な人柄だと思ったことは一度もないと、明言する。
出版界、活字の世界にはたしかに奇矯の人というのはいる。やたらと攻撃的で倣岸な人、破滅的で人見知りの激しい人、酒びたりで女性関係が派手な人。ものを表現するというエネルギーを産み出すのは生半可なことではできないのだから、そういう人格が形成されることもあるだろうと、内田は肯定的には見ている。
大伴もそういう奇人の一人だったかもしれないと内田は思う。猜疑心が強く異常なまでの融通の利かない仕事ぶりを、周りで中傷する輩がいたのも事実だ。一流が好きで亜流は露骨に軽んじた。本物が一番、物真似は歯牙にもかけない。
面従腹背をすごく嫌った。彼の前では調子を合わせておきながら、裏に回って悪口を言うなどは大伴が最も赦せないことだった。
こういうことがある。彼はよくタクシーの中で話を聞きだすことがあった。得てしてそういう場では気が緩み人間関係の本音などを吐くからだ。彼は巧妙に誘導尋問を仕掛けて、いろいろな内情や内幕を引き出す。それはすべて録音テープに収録していた。
こういう事実をもって、彼の性格の陰湿さとか偏執ぶりを言い募る者がいるが、彼はそういう手口を用いて謀略めいて他人を陥れることはけっしてなかったと、内田は言う。むしろ、陰口とか悪口を言いふらされることに対し、そうではないという反論として「動かぬ証言」を保有するための所業だったのだ。つまり、大伴は昆虫のように傷つきやすい魂をもっていた。
世の中の裏表を見聞し、妙な知識をたくさん持っているはずなのに、人生に対し「お坊ちゃん」だった。付き合いのうえでの調子を合わせるなんてことはけっしてできなかった。どこか世間知らずなのだ。フリーランスの無頼とは程遠い、慶応ボーイの育ちのよさとひ弱さが見え隠れする。
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