
松山恵子さんの死去
本日、ツヴァイクの道でカタツムリを見つけた。石垣をひっそり這っていた。紫陽花の葉も日一日と鮮やかな緑となってゆく。梅雨が近づいているのだ。
先日、「未練の波止場」、「だから云ったじゃないの」などで知られる演歌歌手、松山恵子さんが肝臓がんのため埼玉の病院で亡くなった。70をとっくに越えていると思ったら69歳だった。意外に若いので驚いた。
小学生の頃、彼女の歌が流行った。朝、始業ベルが鳴る前のガタガタしているときだ。隣の洟垂れ小僧に、「あんた、泣いてんじゃないの?」とイチビリの私が怒鳴ると、決まってクラス全員で松山恵子を歌い始める。「♪だから云ったじゃないの」
そして、ゲラゲラ笑い転げる。言ったほうも言われたほうも喜色満面。そこへ担任が入ってきて、「さあさ、フザケテイナイデ、早く教科書を出して」と笑いながら悪がきを席につけさせるのが常だった。
松山恵子は愛媛・宇和島市出身、昭和30年にデビューしている。NHK紅白歌合戦に32年から7年連続計8回出場し、平成7年に日本レコード大賞功労賞を受賞した。活躍した時期が早かったから年寄りに思えたが、北島三郎と同年だから少し早すぎた死か。
お恵ちゃんという愛称でファンから慕われたが、平成に入った頃からそのファッション、化粧がずいぶんアナクロニズムになってきた。濃く厚い化粧でティアラをかぶり大げさで少し野暮なお姫様ドレスをまとい、片手に白いハンカチを振った。舞台に立つと大向こうから「おけいちゃーん」と声がかかった。
お恵ちゃんと聞くと、西岸良平の「3丁目の夕日」のある物語を思い出す。高級なクラブにベテランの売れっ子がいた。英語はぺらぺら社会教養はたっぷりで財界の大物に可愛がられた人気者である。華やかで可愛い振る舞いとは別に彼女はもう何十年も店にいると、店員たちは噂した。本当の年を誰も知らない。あるとき、貧しい若者がひょんなことでこの高級店に連れてこられ、彼女に一目惚れする。そして、付きまとって求愛するが、彼女は私なんかおばあちゃんよ、と軽くいなすのだった。たしかに、家に帰って化粧を落とすと、まさに70のおばあちゃんであった。店の中ではむりをして伸ばしている腰も曲がっているのだ。
若者はそういうことも知らず恋に破れ、去っていった。数年後、彼は結婚して子供もいる。街角を子供を連れて歩いていると、横断歩道でモタモタする老婆を見つけた。飛んで行って手を引く。老婆は、あの若者だと気がついたが男はまったく分からない。渡りきったところで男は老婆に「おばあちゃん、気をつけなさいよ」と言って、子供のところへ戻る。御礼を言いながら見送る老婆は、内心で「あのときいっしょにならないでよかったでしょ」とつぶやく、という物語であった。
ファンから怒られるかもしれないが、松山恵子もそうではなかっただろうか。ステージを終えて自宅に戻ると、たちまち小柄な可愛いおばあさんにかえっていると。
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