ハイデッガー批判をヒントにして
ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー。20世紀の思想史に大きな足跡を残している。私は最後まで読んだことがないが、その著『存在と時間』は有名だ。
その彼がユダヤ人でもある師匠のフッサールと決別して1930年代にナチスに入党、フライブルク大学の学長に就任する。学長就任演説である『ドイツ大学の自己主張』はナチズムとの関連もありつとに有名な演説。ニーチェの影響を大きく受けたと言われる。一方あのハンナ・アーレントとも不倫の関係があり、戦後ナチ協力として批判され引退を余儀なくされたとき、窮地を救ってくれたのがそのアーレント(彼女はユダヤ人)でもある。ハイデッガーの人生は数奇で、複雑な生き方をした人だ。
日本との関わりも深く、戦前には、多くの日本人弟子がハイデッガーの元に留学した。とくに、和辻哲郎、九鬼周造、三宅剛一、三木清らが知られている。
三木清はハイデッガーがナチに転向したとき、いち早く批判した。その批判の論拠となったのは西田幾多郎の考えであったと、唐木順三は書いている。その一部を紹介する。
《物となって考へ、物となって行ふ、我々が歴史創造において一となると言ふことは、何処までも科学的と言ふことが含まれてゐなければならない。徹底的に科学的といふことでなければならない。何処までも真実に行くといふことでなければならない。そこに神の言葉を聞くと言ふことでなければならない。》という西田幾多郎の言葉を三木は引用して、ハイデッガー批判の論陣を張ったというのだ。
つまり、ハイデッガーは論理をしっかり追い求めることを投げ出し、ニーチェ的、原始的自然への回帰、ディオニソス的舞踏へ没入していったと、三木はハイデッガーを批判し、理性の、ロゴスの権利こそ回復せよと願ったというのだ。
と、ここまで唐木順三の『三木清』を読んできたのだが、ふとさきほどの「物となって考え」という西田の言葉が気になったのだ。西田はあの言葉に続けて次のようなことを語っている。《我々が物となると言ふことは、歴史的世界の自己形成の一つの仕方として、歴史的事物となると言ふことである。それは物質となると言ふことでもなければ、生物的となると言ふことでもない。原始的自然となると言ふことでもない。それは何処までも具体的理性となると言ふことでなければならない。そこには論理が尽くされなければならない。》
この言葉こそ、われわれジャーナリズムに身を置く者が心して耳を傾けねばならないものではないだろうか。このところテレビは目に見えない世界に対し無批判でありすぎるのではないか。論理を尽くして考えていないのではないか。小泉首相の曖昧で意味不明の言説に幻惑されっぱなしになっているのではないか。なにより、作り手は正気で具体的理性を働かせているだろうか。
三木清はあの戦争の、暗い谷間の時代にあって、ずっと理性を働かせて生きたのだ。
そして、敗戦後40日も経って獄中で死ぬという悲劇が三木を襲うのだ。「三木問題」は今われわれに鋭く迫ってくる。
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