キトラ古墳発掘顛末②
キトラ古墳の第1次調査が行われて15年経った。
高松塚の騒動がありキトラが続いた1980年代はそれなりのブームが起きたが、10年も経過すると次第に忘れられていった。明日香村を訪れる人も減少していた。明日香は日本の故郷とうたっても、人々の関心を集めることは難しくなっていた。
そこで村の関係者はもう一度明日香村がブームとなるような出来事を立ち上げたいと考えた。地道な発掘調査や考古学的研究は継続していたが、もっと耳目を引くイベントはないかと考えたのだ。
キトラ古墳は格好のテーマであった。玄武(亀)の壁画が見つかっていたのだから、他の青龍、白虎、朱雀が発見される可能性はあると見たのだ。
未完に終わったキトラ調査をしてみることを村は構想し前回に実施したチームに村は調査を打診することにした。
そのプロジェクトの主要なメンバーは退職するか転勤するかで、事実上解体していた。新しくチームを立ち上げなくてはならなかった。唯一の生き残りは金井だけ。
私は番組の責任者であるプロデューサーに選出された。歴史は好きだったが番組経験が浅い私は金井からレクチャーを受けながら、猛烈に勉強した。特に飛鳥時代、天武、持統天皇時代については詳細に文献を読み込んだ。
その一方、機材の開発にも力を入れた。技術研究所で前回の失敗した器具の性能アップを図りつつ、レンズ、ビデオ装置なども最新のものを駆使した。撮影用のライトも出来るだけ電圧の低いもので撮影できるほど解像度の高いカメラを開発した。これら技術的アドバイスはすべて金井清昌エンジニアである。金井は前回にも協力を仰いだ東海大学情報技術センターとも連絡をとり、その援助を取り付けた。画像はそのままで認知できるものでなく緻密な画像解析が必要なのだ。それが出来るのは東海大学情報技術センターしかない。そことチームを結びつけるなどということは金井以外誰も出来ない仕事だった。
実は、彼は半年後に定年退職をひかえていた。もう、再調査は無理だと諦めていた。ところが、話が再燃したのである。
長年待望していた悲願の再調査がついに行われることになった。彼は間に合ったのだ。
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