キトラ発掘顛末①
奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡)の極彩色壁画「白虎(びゃっこ)」が一般公開された。会場の奈良文化財研究所飛鳥資料館には日に3000以上の考古学ファンが訪れ賑わっているというニュースを聞くと複雑な思いに駆られる。あのとき、私たちが悩み苦しんだことはいったい何なのだろうと思ってしまうのだ。
キトラ古墳は、奈良県明日香村大字阿部山にある直径約14メートルの古墳で、7世 紀末から8世紀初め頃に作られたと推測される。藤原京の「聖なるライン」の延長線、高松塚古墳と同じ方向に位置している。
私の大先輩になる堀田謹吾チーフディレクターは、高松塚のブームが一段落したとき、キトラと地元で呼ばれる古墳に注目した。一説によればキトラは亀虎という意味で古墳にそれらが描かれていることからその名前が付けられたという伝説があったのだ。もし発見されれば高松塚に次ぐ大発見となるかもしれない。堀田は発掘を役場に申請したが、そこは私有地であり文化風致地区であったので、おいそれと発掘許可が下りなかった。
そこで、現状を破壊することがない特殊カメラをその中へ入れることを思いついた。ファイバーテレビカメラを内部に入れるアイディアだ。胃カメラのような構造をもった特殊カメラを開発することにしたのだ。
NHKの技術研究所に委嘱してカメラの開発を行った。一方、現地調査を繰り返しておおよその内部の寸法を測った。その折、盗掘坑を発見する。この一度開けられた小さな穴を利用すれば、古墳の破壊を最小にできる。
このとき、技術的なアドバイスを与えたのが技術本部のエンジニア金井清昌だ。彼は技術屋らしくない好奇心の強い人物で、盗掘坑のこともカメラの延長システムも金井が考案し、堀田にアドバイスしたのだった。
そして1983年、テレビカメラによる石室内の調査が行なわれた。当時は誰も装飾古墳が眠っているとは思っていないので、何の問題もなくスタッフだけで調査ができた。そして古墳正面の玄武の壁画を見つけた。 感動して左右にカメラを振った段階で、ライトが消えカメラが故障した。やむなくカメラを引き出すが、最後にカメラが天井を撮ったとき星座のようなものが見えた、と金井は認知する。それはVTRには録画されなかったが。
以来、再度ファイバーカメラを挿入して、古墳内部を克明に撮りたいというのが、金井の悲願となった。
玄武だけだが、装飾壁画が発見されたと言うニュースは全国に轟いた。そしてNHK特集として放送され大きな反響を呼んだ。
それから15年後に再度調査が行われる。そのときの番組制作者に選ばれたのが、私だった。
(この項つづく)
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