
春たける――春が深まっていることを言う。さりとて夏はまだ見えない。
子供が小さかった頃は、5月の連休にはどこかへ繰り出した。川越とか池袋とか。あのときは面倒なものと思ったが今は懐かしい。8連休あっても家にいて本を読んでビデオを見てつまみ食いをして、日が暮れてゆく。春の夕暮れのまた心地よいこと。
春暑しはこの春たけてに近いかも。行く春、逝春、春惜しむとは違う。この辺日本語も微妙だな。
俳句で困ったときのバブセ。芭蕉、蕪村、誓子。バ・ブ・セ。
そこで芭蕉先生に聞く。
草臥れて宿かる頃や藤の花
朝から歩き続けて、そろそろ宿でも探すかと思って立ち止まると、そこに藤の花が咲いている。いつの間にか夕闇が迫っている、という風情か。
先だって訪れた韓国、南の島も春盛り、春たけるであった。菜の花が本当に美しかった。畑に行くと菜の花の肥しくさい臭いが漂って、春爛漫だった。そこで蕪村先生。
菜の花や昼ひとしきり海の音
遠く聞こえてくる波の音、畑にはひばりの声が終日鳴いている。菜の花畑は日に照らされている。

老いが進むとまぶしい春は過剰に思えて負担がこたえると、誓子先生は説く。
光ぎっしり蝶老ゆることありや
春の光を一身に浴びて蜜を吸うに余念のない蝶、その華麗な燐粉を輝かせている。こんな蝶にも老いがくるのだろうか、と問い掛ける誓子先生自身老いを内にかかえている。
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