大木惇夫の詩よ・・・
広島の平和記念公園にある「平和の祈り像」に大木惇夫の詩が刻まれている。
[平和を祈り 御霊を鎮めん]
山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり
戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
広島出身である大木の思いがほとばしったとして評価はされている一方、彼が戦前に書いた詩こそ戦争賛美であったということを知れば、思いは複雑だ。特に下記の詩は戦争詩の最高の作品と言われている。
「戦友別盃の歌」 昭和17年11月
言うなかれ、君よ、別れを/ 世の常を、また生き死にを/
海ばらのはるけき果てに/ 今や、はた何をか言わん/
熱き血を捧ぐるものの/ 大いなる胸を叩けよ/
満月を盃(はい)にくだきて/ 暫し、ただ酔いて勢(きほ)へよ/
わが征くはバタビヤの街/ 君はよくバンドンを突け/
この夕べ相離(さか)るとも/かがやかし南十字を/ いつの夜か、また共に見ん/
言うなかれ、君よ、わかれを/
見よ、空と水うつところ/ 黙々と雲は行き雲はゆけるを/
まことに美しい詩と同意せざるをえない。だが、この詩に酔いしれて戦地へ向かった若い兵士たち(その中に母の弟もいた)の運命を思うと、その美しさこそ責められねばならないと思う。この優れた芸術の魂の暗い運命は、画家藤田嗣治を想起させる。
戦後、戦争に協力したとして断罪されたおおぜいの芸術家がいた。私たち戦後世代は当然のようにしていっしょになって糾弾してきた。ちょうど不義を犯した婦人に石を投げたユダヤの人のように。
今また、日本社会が危ういと思わざるをえない状況が近づくにつれ、「表現」は正気を保つことが難しくなってきている。戦前の暗い谷間の時代を知っていた黒木和雄は、亡くなる直前に、今の世の中はだんだんあの時代に似てきたとさかんに警告を発していた。
わたしたちは今本当に正気を保てているだろうか。美しさに傾くことを許して道義から離れてはいないだろうか。それにしても、「別盃の歌」の最後の連の美しさよ。
言うなかれ、君よ、わかれを/
見よ、空と水うつところ/ 黙々と雲は行き雲はゆけるを/
木下恵介の戦前作品、「花咲く港」「生きていた孫六」「陸軍」は、はたして厭戦の思想が流れていたのだろうか。戦後のはっきりした反戦作品「大曽根家の朝」や「二十四の瞳」と矛盾なく接続したのだろうか。この休日の間、もっと考えてみる。
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