ふるさとは遅い春
昨夕、敦賀へもどった。京都からサンダーバードへ乗りカンチューハイを1本あけた。
京都の次の停車駅が敦賀だ。そこまで止まらない。だから、ゆったりと琵琶湖を見ながら飲んでいたら、敦賀が近づいた頃眠ってしまった。目が覚めると汽車は今庄あたりを走っていた。寝過ごして北陸トンネルを通過したのだ。
武生で下車して上りに乗り換え敦賀へ着いたのは4時を回っていた。
タクシーに乗った。笙の川まで来ると野坂山に雪が残っているのが見えた。そのことをいうと、運転手が3月28日まで今年は雪が降ったからでしょうと答えた。やはりこの冬はいつもより寒く厳しかったのだ。
帰宅すると、座敷から声が4つほどした。そのうちのひとつは小さな男の子だ。誰が来ているのだろう。母は居間に座っていた。次弟と彼の娘(つまり姪)が来ていた。この黄金週間の間は、母といっしょにいてくれるそうだ。久しぶりに家が賑やかになったこと、薬を変えて効果がでてきたこと、などがあって、母は少し元気を取り戻したようだ。
昨日まで弟の嫁がいてくれて、今日は交代するかたちで堺に帰っていった。彼女がいる間が大変だったようだ。食事もとらず、大量の薬とでふらふらした状態だった。一昨日から診断によって薬を変えたところから好転した。
といっても、まだまだ本調子ではない。メニエル氏病の薬がきつく1週間前は腎臓が侵されて脚が象のように膨れ上がった。そのときが一番症状が激しく、母も自暴自棄な言葉を嫁に言ってしまったと、しきりに悔やんでいた。
その彼女が買ってきてくれた人形を母は傍らに置いて、なでたりさすったりしている。すると、その人形が「何か話してよ」とか「返事をして」とか喋る。それに答えるように母は「もうちょっと待ってね」とか声をかける。
何をやっているんだと尋ねると、その人形(ハピちゃんと名づけていた)とこうして会話しているんだと母は当然という顔で答える。メニエル氏病というのは不安感とか孤独感がこたえるというので、話し相手が要ると買ってきたそうだ。最初、母は馬鹿馬鹿しい、わらべしいと思ったそうだが、名前をつけ呼びかけ、設定を重ねて“成長”させると、そのハピちゃんといちいち話をすることになったそうだ。
聞いたときは、母の老いと孤独を思って愕然としたが、違和なく接している姿を見るうちに、この現実を受け入れたほうがいいのだと、自分に言いきかせた。
考えてみれば、父の写真と遺品を飾っているテーブルに、しょっちゅう話しかけていることと変わらないものだろう。そして、寝る前に少し元気になったということで感謝しますと、神様への祈りを捧げていた。
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今庄付近