松尾尊兌 京大名誉教授
私が話しをしたのは、文学部新入生歓迎会だったが、主催は文学部同窓会である以文会だった。だから祝賀講演として、私の「映像で表現すること~ワークショップ3年の歩み」とならんで、というか私の後に松尾尊兌名誉教授の「半世紀前の文学部と私の学生生活」という講演が行われたのだ。私は、現場に立ったとき、深い後悔にとらわれた。なんで、こんな場所にのこのこ出てきたのだろう。
私の話は途中で学生が制作したDVDを見せて、その反応を見ながら、映像の特性を話そうと思っていたが、事務局が講演の前に見せてしまっていた。だから、私の計画はガタガタになり、かつ大教授が後ろに控えているということで、完全に舞い上がってしまった。慙愧。
その後の松尾先生の話は素晴らしかった。この場で聞けた幸運を素直に喜ぶ。先生は大正デモクラシーや吉野作造、石橋湛山の研究はでつとに知られる。その先生の青春時代を新入生に向かって熱く語った。・・・
先生が入学した1950年、朝鮮戦争が起こり、翌51年には講和条約が結ばれるなど激動の時代であった。だが学内は意外の平静だった。しかし、教授陣は教職追放されたり、三木清のように獄死したりして、戦争の傷を負ったままであった。先生は学外に師を発見した。立命館大の北山茂夫(日本古代史)だ。彼からものの見方、考え方、読書の仕方を習った。そして、北山を通じていろいろな人物を紹介された。羽仁五郎、松田道雄、中野重治、鶴見俊輔。綺羅星のごとく、すごい人たちばかりだ。
松尾先生はいわゆる秀才で受験勉強などはよく出来たが、卒論のときに苦い体験をする。オリジナリティが大事なのだが、それが弱かった。問題を絞ることも知らず概説にしかならなかった。案の定、評価は低かった。ノイローゼとなり、引きこもるような状態がつづいた。
そのとき師匠の北山はどうしていたか。
何もしない。指導もしなければ励ましもしない。ただじっと見ていた、と松尾先生は述懐する。「それで、先生は北山さんのことに立腹しなかったのですか」と、講演後私は聞くと「全然思わない。別に助力してくれないからと言って、先生に怒りなど一つも思わなかった」と答えた。むむ、師弟の間柄とは深い。というか、このエピソードは何か大切なことを示唆していると思う。
ウチダ教授の説によく出てくる最近の若者論。みな他罰的だということ。困難が起きるとすべて周りのせいにしたがる若者たち。自分が自己実現できないのは自分より高位のものが邪魔をしていると思いたがる傾向。
この現代の傾向とまったく異なる、北山―松尾の師弟関係。
私は感動した。もう少し詳細を知りたいと思った。すると参考書が先生のレジュメに出ていた。
松尾尊兌編『北山茂夫―伝記と追想』(みすず書房、1991年)さっそく、出版社に問い合わせよう。
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