語り部、水島新司
漫画のあぶさんやドカベンで有名な水島新司さんといっしょにディスクジョッキー番組を4本作ったことがある。今から30年前だ。
毎回テーマを決めて選曲していった。最終回だけ、レコード(当時はレコードをかけていた。このアタマ出しが難しかった)は1枚だけにしようと、水島さんが言った。
それは1973年にフランク・シナトラが歌って有名になった曲《幸せの黄色いリボン》だった。
Tie a yellow Ribbon roun The Ole Oak Tree――黄色いリボンを樫の木に結んでおいて、
というのが原題である。歌は物語になっていた。
悪事を働いて刑務所に入っている男がいた。3年の刑期を終えることになり、男は昔いっしょに暮らした女のところへ戻ろうかどうしようか悩んだ。これまでさんざん悪いことをして彼女に迷惑ばかりかけた、悪いのは自分だと知っているだから迎えてくれるか自信がないのだ。結局、その女に手紙を書いた。
「もし、ぼくをゆるしてくれるなら、家の前のあの樫の木に黄色いリボンを結んでおいてほしい」もしリボンが無かったら、彼はそのまま寄らずに遠くへ行くつもりだった。
都会から長距離バスに男は乗り込んだ。強張ってとげとげしい雰囲気に他の乗客たちも遠巻きにして見ている。運転手も苦々しい。
町が近づくにつれ彼はますます緊張する。やがて、乗客たちも彼の苦しみを知るところとなる。励ましてくれる人もいる。大丈夫だよ、きっと待っててくれるよと。うれしいが、彼には気休めとしか思えない。
バスは町に入った。
あの角を曲がれば、思い出の家がある。男はもはや耐えられなくなっていた。怖くて顔を上げていることができない。運転手に頼んだ。
「運転手さん(Mr.Driver)。ぼくの代わりに見てはくれないか・・・。」
バスは角を曲がった。一瞬の静寂。
そして、乗客が全員立ち上がって叫んだ。「見ろーっ(LOOK!)」
バスの乗客が歓声を上げる中、彼が目を上げると、樫の木には、なんと一つどころか100個の黄色いリボンがついていたのだ。黄色いリボンで満艦飾の樫木の風景は涙でにじんでいた。
――と水島さんはそこまでマイクに向かって名調子で語り続けてきて、副調にいる私に向かってレコードをかけるキュー(合図)を出した。私もミキサーもジーンとしたまま、スィッチを回した。あの軽快なイントロがフェイドインしてきた。
あんなに楽しいラジオ番組はなかった。録音を残しておきたかったが、手元にはもうない。水島さんが語ったのは歌の歌詞どおりだったが、語り口がよかった。乗客が全員立ち上がって、「みろーっ」と叫ぶところなど、語りは圧巻だった。さすが熱血野球漫画の巨匠だと感じた。
この番組から2年ほどして、山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」が封切られたと聞いた。
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