花の美しさ
正確な言葉は忘れたが、「花の美しさというものはない。美しい花があるだけだ。」と小林秀雄が語っていたはずだ。いかにも小林らしい切れ味のいい「エピグラム」だが、すべてにあてはまるとは小林も思っていないだろう。ここ数日咲き誇る桜を見ていると、小林に異議を申し立てたくなる。個別の花というより花と呼ばれるもの(複数形)が美しいといいたい。
せんだって、山桜の誰にも見られない美しさを語った。
映画にしろテレビにしろ、客に見られて作品として成立する。それはたしかだ。だが、山桜のように見られない「番組」があってもいいのではないか。客に見られることを顧慮しない作品というものがあってもいいのではないだろうか。
日記のような、他人(ひと)には分かってもらえなくても自分独自の符号やしるしで象(かたち)作っていくような作品。
そうやって自分本位で書かれた日記でも、作家の場合かなり誰かに読まれることを意識している。永井荷風にしても山田風太郎にしても、その痕跡がうかがえる。
向田邦子も若い頃恋をした。それはずっと秘めたものであったが、その痕跡の手紙は残しておいた。不慮の事故で突然死んだから、向田は処分できずに残ったのかもしれないが、仮に病死であっても、その手紙は残されたと思う。なにより、彼女の作品の中でその恋はしっかり描かれている。私はその典型を晩年の作品「蛇蝎のごとく」に見出した。
秘めていても誰かに言いたい・・・
先日、ある人からこのブログに恋の告白を寄せられた。当初、何のことか分からず面食らったが、事の次第が見えてくるとその人の所業が理解できた。
その人は恋をした。誰も知らない。相手すら知らない(かどうかは判断に迷うが)。ずっと秘めたままでいこうと考えたが、誰かに胸のうちを打ち明けたかった。打ち明ける相手は、知人でなければ誰でもよかった。できるだけ遠くの人がよかった。そこで、このブログが選ばれたのである。
驚いた私は、それにピント外れの応答をした。それは必要ではなかったのだ。私が読んだということさえ、その人が分かればそれでよかったのだ。
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