熊本の鉄ちゃん
夕方、オフィスの前で姜 尚中(カン サンジュン、강상중)さんと会った。久しぶりだった。ハンサムな東大教授はニコニコ笑いながら歩み寄って「ずいぶん長いこと会っていませんね。今何を作っていますか」と、大きな手で私の手をかたく握った。いやあ、そう言われると近年「冬のソナタ」とか「植木等」とか「ペルソナα」とか、硬いドキュメンタリーは作っていないから口ごもってしまう。
だけど、姜 尚中さんと会うと嬉しい。本当に懐かしい。
先日、私の仲間が企画した番組で姜さんがフランスへ行ったと聞いていたから、その番組のために来たのではないかと思って、問うと、そうだと答えた。「たいへんでした。現地は深刻でした。今度のフランスの若者のデモがラストシーンになると思いますが、実際に現場を見てきてよかったと思います」と、相変わらず真面目に先生は受け応えする。
姜さんとは10年ほどの付き合いとなる。最初は「未来潮流」という番組だった。まだ韓流もなく差別が公然とあった時代だ。先生は指紋押捺拒否に関わっていてずいぶん苦労していた。在日韓国人の期待の星だった。たしか当時は国際基督教大学の准教授でマックスウェーバーの研究家だった。私と仕事をした前後ぐらいから、「朝まで生テレビ」に出演することが多くなり、論客として知られるようになってゆく。
でも私に一番印象に残っているのは4年前に撮影した、「課外授業・ようこそ先輩」である。このとき、姜 尚中さんの故郷熊本へいっしょに行ったのだ。山の麓にある母校清水小学校で、姜さんは6年生に「世界と出会う、自分と出会う」という授業をしてもらった。こどもたちは5班に分かれて市内の外国人(カナダ、バングラディッシュ、韓国など)を訪ねてコミュニケーションを試みるという授業だ。
姜 さんは教室で、自分は小学校の頃永野鉄男と名乗っていたことを話す。野球が得意な鉄男少年だった。友達から鉄っちゃんと呼ばれていたのだ。でも、あとになって本当の名前を獲得しなくてはと決意し、姜 尚中となったと、こどもたちに一生懸命話した。そして政治学とはみんなが仲良く暮らすことができることを目指す学問だよと話した。こどもたちはまっすぐ姜さんをみつめていた。私は番組を制作しながら、感動していた。
授業をした夜、スタッフは熊本のホテルに泊まったが、姜さんは実家にもどり一晩泊まった。八十歳になるオモニが待っていたのだ。オモニは誇らしかったし嬉しかっただろう。
薮入りの寝るやひとりの親の側
いつだったか忘れたが、姜さんと酒を飲んだことがある。あまり先生は飲まなかったが、楽しくなって、ゴールデン街の「とんぼ」へ案内した。店主のアキコさんはおおいに喜んだ。ここには池明観さんも来たことがありますと告げると、あの白皙が崩れて、目にしわが出来た。
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課外授業をする姜さん