大伴昌司を偲ぶ会
昨夜、渋谷アリマックスホテルにて大伴昌司の会が開かれた。4階の会場には母の四至本アイさんをはじめ30人以上の関係者が集うた。
冒頭、私があいさつをした。大伴さんが亡くなって33年経ったが今ますます評価は高まっている、遅ればせながら33回忌の代わりとして故人をしのびたいと、宴の趣旨を話した。
集まった人は児童ジャーナリズム、特撮関係者、作家、出版関係者ら錚々たる人たちだ。作家の石川喬司さん豊田有恒さんも顔を見せてくれた。円谷プロの重鎮もいた。若い編集者やライター、映像制作者もいた。大半が70過ぎの方だが、会場は熱気でつつまれていた。
乾杯の音頭を、内田勝さんにお願いした。いわずと知れた、少年マガジンの大編集長であり大伴昌司の盟友でも会った人物だ。内田さんの話は情熱的で興味深いのだが、とにかくスピーチが長い。かれこれ10分から12分はあったか。一同グラスを手に待っているがなかなか終わらない。乾杯にうつったのはパーティが始まって25分経った、6時半だった。
しかし、内田さんが語ったことは感動的で面白かった。大伴がいかに完璧主義者で、意に沿わないことがあるとダダをこねたか、エピソードを交え内田さんは面白く語った。
図解担当の編集スタッフは完璧主義にいつも泣かされ、大伴はこういう状況なら降りるということをいつも口にした。大伴から愚痴を聞かされる内田さんは、「今、あなたがやっているビジュアルコミュニケーションはきっとこれからの日本文化に大きな意味をもつはずだから、短気をおこさず頑張ってやりましょうよ」と励ました。すると、大伴はこう言ったという。
「僕のやっている仕事なんて、10年先20年先には誰からも忘れ去られているよ。そういうことがあったなんてことは何も残っていないよ。後には風が吹くばかり。」
多少センチメンタルだが、大伴の言やよし。いいなあ。後には風が吹くばかり。
早世を予感し、自分の正体を隠し、未来を幻視しつづけた男、アルチザンとしての面目躍如だ。
内田さんの長いスピーチの最後も感動的だった。大伴が死んで30年も経つのに、こうして人々の記憶がある。けっして彼の仕事、名前を無にしてはならない。後には風が吹くようなことにさせてはいけない。きっと私らの手で大伴さんの事を伝えていこうではないですかと、内田さんは語った。熱く語りすぎたのか、スピーチのあとの乾杯発声の段取りを内田さんは一瞬忘れていた。そして気づくと照れくさそうにグラスを掲げて「カンパーイ」と発声した。
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