ケルトの太古の響き
JALの機内で久しぶりにENYAを聴いた。機内誌には彼女の最新のエピソードがあった。
彼女の音楽の特性は多重録音だ。ENYAのボーカルを何百と録って、それを重ねていくとあの天上的な歌声となるのだ。
1990年ごろ、デビュー間もないころ、名前は聞いたが私は関心が当時なかった。
“94年、病で倒れ長期に入院することになったとき、若いディレクターが見舞いにエンヤのCDを届けてくれた。一度聴いて夢中になった。繰り返し何度も聴いた。
出血して濁った脳に、その歌声は響いた。ひたひたと脳髄に染み込んだ。
先年、イギリスのケルト文化圏を訪ねたとき、ケルティック音楽の特性を知った。ケルトは永遠性をとても大切にする。渦巻き模様もそのシンボルだし、反復する音楽もそれだった。いつまでも終わらないかのような、繰り返される音、まるで寄せ返す波のような音楽。それは人を癒す力をもっていると、現地の人に教えられた。
海峡をはさんで、同じケルト文化にあるエンヤの歌声は、当然にも永遠の響きをもっており、聴くものの心を癒すのであった。
JALの機内で聴いたのは新曲「菫草」。少し変わったタイトルだなと思って、機内誌を精読すると、この歌の生まれたいきさつが書かれていた。
彼女の作詞を担当する人物から、芭蕉のことを書いたものを示されたという。そこでエンヤの心に残ったエピソード。山路を歩いてきて、ふと気づいたらすみれがひっそりと咲いていた。何か思わしげに咲いていた。というような話だ。
これを読んですぐ私は、あの句を思い浮かべた。
山路来て なにやらゆかし 菫草
エンヤはこの感受性に共感したのだ。昨年のスコットランドの旅でも痛感したが、HAIKUはいまや普遍的芸術形式になろうとしている。
エンヤはこの新曲の中で、日本語を発音していた。
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