光る砂漠
若くして亡くなる人の生とは、なぜこれほど心に残るのだろう。
今夜、テレビで「愛と死をみつめて」が放送される。このドラマの主人公大島みち子さんを去年私はドキュメンタリーで追った。彼女の人生もわずか20年あまりだったが、鮮烈な印象を残して逝った。その仕事のときも、どうしても早逝ということが意味深く思えてならなかった。
矢沢宰君の人生もほとんど病との闘いだ。15歳のときの病床にあっても感謝の言葉を失っていない。
〈感謝〉
とにかく素晴らしい夜だった
ガラスの窓に
春の淡い月の光が射しこみ
どこか遠くで
九時を知らせるオルゴールも
鳴っていた、
これだけで僕は満足した、
細い指をしっかり組んで
深く深く神に感謝した、
熱い涙が耳たぶをつたって
枕の上にポトリと落ちた時
僕はがんばるぞ!と思った
――そして、次の詩のような美しい言葉が矢沢君からこぼれ出てくる
〈春の夜の窓は開けて〉
電気をつけないことにしよう
窓はあけておくことにして
春の夜の清く甘ずっぱいような香りを
部屋の中いっぱいにしよう、
そして俺は
静かに神様とお話をしよう
矢沢君の家はけっして裕福ではなかった。離れた町で一人入院するも、けっして不平をもらさず、じっと病と闘った。やがて、やや回復して、病院内にある養護中学校へ通うことになる。2年で特別進級してそこを卒業した。
〈空が〉
空があんまり青いので
かた目をつむって
見たらば
母のような
やさしいものが
よこぎった
俺はうれしかった
矢沢君の詩はけっして明るいものばかりではないが、私はそれを読みたくない。甘ったれていると言われそうだが、彼の最後の時期に書かれた詩以外は、すべて希望に満ちた詩だけに目をむけたい。
〈入道雲〉
大男になって
またいだり
よじ登ったり
いっきにかけおりたりして
ふるさとへ帰りたい
〈汽車〉
毎夜ベッドが聞いていた
汽笛に乗って
今、私は家に帰る
(この項つづく)
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