早春のスケッチ
朝夕は寒いが、どこか春だ。紅葉山を下りながらぜんまいの「のの字」を見つけた。鶯も笹鳴きをはじめた。半月もすればいい声で鳴くだろう。眼下の相模の海も光っている。この海を見るたび、石坂洋二郎の「光る海」という新聞小説を思い出す。うまいタイトルだとつくづく思う。
この数日、パソコンが変わってカメラが使えなかった。デジカメをブログ用に変換するソフトを失くしていたので、新しいパソコンにインストールできなかったのだ。やむをえずケイタイのカメラで撮ったものだけにしていたがどうも具合がよくない。ブログ文章と関連のあるブツが撮影できないのだ。ややフラストレーションがたまっていた。私の使っているカメラはコニカミノルタで近頃生産を中止した。だからソフトが入手できないと諦めていたら、昨日ネットで会社の在庫センターを知り、代金引換で送付してくれることになった。だから、今朝の11時には届いて、このブログ記事にも画像を付加できることになるはず。ちょっと嬉しい。
駅のホームにたつと、鉄道ファンがカメラをかまえていた。これから春休みにかけて少年たちが増える。坂田山、高麗山、大山、それぞれ春の準備に入ったという風情だ。遠く秦野のほうには霞が立ち始めている。
「西行する」という言葉を海野弘の本で知った。渡りの職人たちが流れ歩くことを指す言葉だそうだ。いいな、味のある言葉だ。大磯は西行とは縁が深い。彼のここで詠んだ歌にちなんで鴫立庵という庵があるほどだ。西行その人は名前とは違って西国より東国をよく歩いている。
このところ、川本三郎さんとか海野弘さんたちのぶらぶら歩きの著作が目に付く。これらすべて西行するにあたるのだろうか。
ついでに書き添えておくが、渡り歩く人たちはお世話になるとき仁義を切ったのだがこれは元来お辞儀のことだということだ。そりゃそうだ。世話になる以上あいさつは当たり前のこと。
フリーターというとどこか問題のある存在のようだが、昔から渡り職人、流れ者、股旅、という西行する存在はあったのだ。フーテンの寅さんだってその一人さ。暖かくなるとどこかへ行きたくなる。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング