昭和30年の頃
小学校1年の当時、荷馬車があった。馬が歩きながらぽたんぽたんと馬糞を落とすのを見ていた。その糞を踏むと背が高くなると聞いて嫌だったがズックのまま踏んだことがある。ぐしゃっとしたあの感触は今も足裏に残っている。
オート三輪が走っていた。排気ガスを撒き散らして走ると、後ろからついていってその匂いをかいだ。青臭い揮発性の匂いがした。けっして嫌いじゃなかった。今考えると何てことをしていたのだろうと思うが、当時は珍しくない光景だった。
「3丁目の夕日」でも活躍したミゼットはなつかしい。これは日曜日のゴールデンタイムに放送された「やりくりアパート」のCMで目にした。小さな車の前に大村昆と佐々十郎が立っていて、佐々が突っ込むと大村がどんな言葉にもなんでも「ミゼット!」と叫んで両手を広げる。そのやりとりが面白くて、休み時間によく真似をした。
昭和33年にスバル360が発売された。このCMはよく覚えている。坂道をぐんぐん登って行く映像だ。たしか日曜の7時「拳銃無宿」のスポンサーが富士重工だったのではなかったかな。このドラマのジョッシー・ランドルと共にスバルの丸い車体が目に焼きついたのだ。街角でも見かけるようになった。私の自動車に対する知識はすべてテレビのコマーシャルから入ってきた。スズキキャロル、マツダR360クーペ、パブリカ、ブルーバード、トヨペット・コロナ。町がだんだんアスファルトに変わってゆく。雨が降っても泥が跳ねなくていいなと、梅雨どきに思った。
マイカーで通勤する先生が出てきた。庶務の事務職だが内職で習字と珠算を教えていて裕福だったのだろう、その先生は早々と車を購入した。スバルに乗っていた。職員室の前に駐車していて、暇があれば磨いていた。近寄って見ようとすると「汚い手で触るなよ」と言った。私と仲間はむっとした。
放課後、講堂でゴロ野球した帰り道、駐車していたスバルが目に入った。水溜りへ行ってボールに泥をこすりつけた。そのゴムボールを数度スバルに向かって投げつけた。ボディがずず黒くなった。胸がすっとした。
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