昭和恋恋
昨日が本葬だったことで、今朝のニュースショーは各局久世さんの人生を取り上げている。
死んでしまえば皆仏様ではないが、久世さんがとてもいい人になっている。本当かな。
生前はいろいろなところで批判を聞いた。いきまく人もいた。ところが急逝すると、メディアの論調は昭和の男が逝ったと惜しむ。それはそれでいいが、伝説とはこうして作られていくのだなということを実感する。
久世さんのドラマは向田邦子とのコンビによるものが大きかった。向田脚本は真っ当なホームドラマだが、それを「台本」にして久世流混ぜっ返しでさらに輝かせた。理想的な共依存だったと言える。
向田邦子も生前圭角の多い人だったと聞く。エッセーだけ読むと良き人と思わせるが、表現者はそうやすやすと良い人であるはずがない。当時付き合ったドラマプロデューサーによれば脚本(ほん)の上がりが遅く注文がよくつく「厄介な」シナリオライターだったという。その向田は51歳の若さで突然の事故死。今また久世さんも急死。
おそらくこれから久世伝説がさまざまに展開していくことになるだろう。
さて、先日「天声人語」で、久世の死は昭和という時代の車のテールランプが消えてゆくようだと書いてあったとか。「よみうり寸評」でも昭和を郷愁する男というふうに扱われていた。あたかも昭和のピリオドのように。
だがそれは違うだろう。久世も向田も戦中派といっていいのではないか。彼らが懐かしんだのは特に文学においては戦争直前の封建気分があった頃の昭和が中心だ。
63年続いた昭和の中の彼らの昭和は第2期生といいたい。1期は昭和1桁を懐かしむ人たち、3期は戦後ベビーブーマーの私のような世代だと思う。「3丁目の夕日」は3期生の前半部分。後期は東京オリンピックから大阪万博までを区切ると思うのだ。これからはここが注目されるのではないか。そこに画然と立つのが、わが大伴昌司だと思う。
話を久世さんにもどす。久世さんは若い頃から艶福家だった。1つや2つですむまい。ところが向田邦子には男の影がなく、久世さんはそういう話は苦手で男知らずの人と見ていた。『触れもせで』でそういうことを書いている。
後に、私らが「向田邦子の秘めたもの」というドキュメンタリーを作ったとき、恋人の存在を知って久世さんは驚いた。「意外だったよ」と率直に語ったことを私は覚えている。そのとき久世さんは江戸の俗謡を教えてくれた。
♪秋の彼岸の回り道
お彼岸で墓参に出かけたら、隠居が途中で消えた。どこへ行ったと探していたら、変なところから出てきた。何してたのと聞くと、ちょっと知った人のお墓にいっていたと、なんとかかんとか言い訳する。どうやら昔のわけありの人のお墓へ詣でたらしい。
この端唄を挙げて、向田邦子の秘めた恋は見事と感じ入ってみせた。いかにも久世さんらしいほめ方と感心した。
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