詩人石垣りん
石垣りんという詩人がいた。つい2年前84歳で亡くなった。難しい言語は使わずにいい詩を書く人だった。都会の隅でつましく然し誇りを持って生きた女性だった。
一度だけこの人にインタビューしたことがある。どんな内容だったか忘れたが女性の詩についての談話をもらったはずだ。小柄でおとなしそうな人だなと思っただけで印象は薄かった。
ところがこのインタビューを契機に彼女の詩やエッセーを読んだところ心が揺さぶられ、ぐいぐい引かれていった。
昭和9年、石垣りんは高等小学校を卒業すると丸の内にある銀行に給仕として入行し、以来40年間定年まで銀行員として働いた。働く女性の草分けのような存在だ。女性はあくまで使われる者の立場という身分制が生きていた時代である。人に言えない屈辱も味わったと思われるがけっして口にして運命を呪わない。だが戦争や公害に対しけっして自分の考えを譲らない人でもあった。
「花嫁」という作品がある。
石垣は終生独身だった。風呂のないアパートに住み、いつも貧弱な公衆浴場を利用した。そこで体験したことがこの話の主題である。
見知らぬ女性が石垣に剃刀を差し出して衿を剃ってくれと頼んだのだ。意外な申し出にためらっていると女性は「明日、私はお嫁にいくんです」と告げる。そのしおらしさにほだされた石垣は女の襟足に剃刀をあてることになった。
《剃られながら、私より年若い彼女は、自分が病気をしたこと、三十歳をすぎて、親類の娘たちより婚期がおくれてしまったこと、今度縁あって神奈川県の農家へ行く、というようなことを話してくれた。私は想像した、彼女は東京で一人住まいなんだナ、つい昨日まで働いていたのかもしれない。そしてお嫁にゆく、そのうれしさと不安のようなものを分け合う相手がいないのだ、それで――。私はお礼を言いたいような気持ちでお祝いをのべ、名も聞かずハダカで別れた。》
この話を読むたび、銭湯のどぶに漂う人恋しい湯垢のにおいを懐かしむ。タオルを首に巻きつけて洗面器をかかえて帰った時代を思い出す。
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