津田投手の祈り
こんなはずじゃないと言う番組がある。私にとってそれは1994年に制作したNHKスペシャル「もう一度投げたかった~炎のストッパー津田恒美の直球人生~」である。
入社して3年しか経たない若いディレクターがこの企画をもってきたとき、それほど私は熱意がなかった。スポーツ選手の生き方ということにあまり関心がなかったのだ。
だが若いディレクターの熱意に押されて九州の八代まで足を伸ばしたときにあることが起きた。今は亡き主人公の気配を感じたのだ。
津田さんが亡くなった後、奥さんは息子の大毅君を連れて実家のある八代へ帰っていた。現在闘病の手記を書いているということで、奥さんと話し合うために御宅まで私は出向いた。そしてその時津田さんの形見の練習用ボールを見せてもらった。
それは津田さんがいつもボールの感触を確かめるために持ち歩いていた握り専用の球だった。薄黒い指の跡がしっかりついている。指にあわせてボールを握り反対側を見ると、「弱気は最大の敵」と黒いフェルトペンの言葉が記されてあった。
おそらくノックアウトされたときなど、寝転びながらこのボールを握っていたのであろう。津田さんはその言葉をじっと見つめて噛みしめていたにちがいないのだ。その字、その文言、その指跡。何かここに津田投手がいるような気配が、そのとき私はした。
そのボールをテーブルにそっと置いてやや離れたところから私は眺めた。ボール(球たま)は霊魂(たましい)に見えた。ここに彼が宿っていると感じた。私はこの番組を絶対実現しようと、その時つよく決意したのだ。
番組の撮影が始まったとき、津田さんの闘病シーンを演出するのに空のベッドにそのボールを置いた。そこに津田さんがいるということを示したかった。実際、放送された番組を見た視聴者のほとんどはその気配を感じてくれた。東京で15・6㌫という高い視聴率をカウントした。広島では42・7㌫、2軒に1軒が見てもらえた。当初これほど話題になるとは思わなかったのに番組は大きな反響を呼び込んでくることになった。
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