昭和を撮りつづけた伝説のカメラマン
今、木村伊兵衛(1901-74)の番組を制作している。その名を、写真界の芥川賞といわれる木村伊兵衛賞として残したほどの巨匠だ。だが、意外に彼の仕事は知られていない。
写真がデジタル化などで変化する中、木村の写真術というのが今あらためて注目されている。そこで、この人物を探ってみようということになったのだ。
彼は数々の伝説を残した。彼はけっして被写体に同じポーズで写真を撮らなかった。つまり“二度撮りはしない”のである。さらに“相手に撮ったことを気づかせない”つまり斬られても気付かずいたという剣聖のような技をもっていた。それを直弟子の写真家田沼武能さんは「居合抜き」と呼んだ。
一方。その素顔はとてもわかりづらい。ある者は「下町情緒を撮り続けた写真家」と言い、ある者は「女性写真の大家」だと言う。「ライカの名手」「社会派」「広告写真の元祖」「報道写真家」などなど、彼の評価はなかなか定まらないのだ。ブレやボケ、フレーミングを気にしないその作風から、「アマチュアの延長」や「旦那芸」と揶揄されることも当時少なくない。それがまた彼を分らなくさせているのだ。
良い写真が撮れた時にだけ口にした彼の口癖は「粋なもんです」。
木村伊兵衛は明治34年、台東区金杉町の裕福な家庭に生まれる 小学3年生の時に浅草花屋敷の露天で買ってもらったボックスカメラが木村の原点である。学生時代にさんざん女遊びをした後、“一番楽な仕事をしたい”として写真屋になったというが、どこまで本当か。けっこう照れて韜晦しているのではないだろうか。
木村伊兵衛はポートレイト撮影の名人でもあった。特に女性撮影の上手さは戦前から有名だった。昭和24年、写真雑誌『アサヒカメラ』の復刊号で、その表紙を飾ったのが、木村伊兵衛の撮った角梨枝子のポートレイト。以降ポートレイト撮影の第一人者となり、“女性を撮らせるなら木村”との伝説が生まれる。
木村は、その人のあるがままの姿が見える“瞬間”に反応している。ブレ・ボケ・フレーミングを気にしない、一見素人めいてみえるこの写真術こそが実は、木村の木村たる所以ではないか。人が普通に生活する場所で起きる“瞬間”のリアリティをとらえるというものだったのだ。
代表作「本郷森川町」。この写真は、見る者の視点を一点に集中させず、画面のあちこちに分散させる構図法を使っている。被写体や出来事それ自体をとらえるというより、周囲の関係性(“雰囲気”と木村は呼んだ)を写しこんでいる。木村の代表作といわれる。視点が分散する構図を完成させた作品といわれる。

番組は、多岐にわたる彼の作品世界の中から、下町と秋田というシリーズにこだわって、評論家の川本三郎さん、写真家の荒木経雅さんらが木村ワールドを読み解いてゆく。放送は3月18日の土曜日、夜10時から。教育テレビ「ETV特集」だ。ぜひご覧下さい。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング