谷崎松子のエッセーを読んで
2月も後十日足らずで終わろうとしているのに、今朝はまた寒さがもどっている。三寒四温か。
谷崎潤一郎の夫人松子のエッセーを今朝読んだ。
関東大震災で西へ逃れた谷崎が松子と出会ったとき、双方とも伴侶がいた。それゆえ人目を忍ぶ関係となる。そして晴れて結婚ができるとなったとき、谷崎は松子に夫婦では関係がだれてしまうから主従の関係でと申し出る。芝居っ気で、松子は御寮人(ごりょんさん)を演じればいいと、その役を引き受ける。
使用人と御寮人――安易なマゾヒスムとは言えない、谷崎の覚悟を見る。
エッセーの中で、谷崎とのくらしで悲しかったことは子を中絶したことだと松子は書いている。子どもができたと知って谷崎は、もし誕生すれば子にうつつをぬかして文学への精進を怠ることになるやもしれぬ。そのためにも堕ろしてくれと頼み、松子は涙を流しながら応じた。そしてこのエッセーを綴った八十の坂にある松子は、あのとき生んでおけばよかったと深く悔いるのである。
主従といい中絶といい、谷崎の芸術への忠誠は並々ではない。
それに比べて昨今の作家、特に若い作家たちの柔なこと。ある中堅はここ数年決意して書いた作品が世に認められないと拗ねて、歌劇に手を出そうとしていると聞くにおよんで、谷崎の爪のあかでも煎じて飲めと言いたくなる。
当たり前のことだが、西行といい芭蕉といい谷崎といい、作家の強度は時代の古さとはまったく関係ないものだ。
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