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定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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ウルトラの星に旅立った人②

大伴昌司の生い立ち
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大伴昌司の伝説がかなり流布したので、今一度最初から彼の人生をたどっていこう。そうしないと彼の像が結べずパズルが解けないのだ。

 実は、私が昭和62年に彼を主人公にした「少年誌ブームを作った男」という番組を制作し放送されたことから、彼の存在が一般に知られるようになった。それまでは世間的には忘れられていた。というより彼の業績が多岐にわたったこと、当時(昭和62年ですら)は価値がないと思われた少年マガジンの巻頭特集や怪獣図鑑やCMフィルム時評といったサブカルチャーに彼の活躍領域があったことなどから、マスコミの本流からは無視されていた。彼と交流があった関係者やSF作家たちには記憶されていたが、それも全体像ではなく関わった部分だけしか知られていない。彼独特の秘密主義が彼の出自を不明にし業績もその全体像を掴むことは誰もできなかったのである。

私が取材を始めたのは彼が死んで14年経っていた。強い個性で彼に含むところをもっていた人も時と共に恩讐を洗い流してくれて私の取材に答えられる状況になっていたことも幸いしたのだろう。関係者の大半は取材に応じてくれた。そして誰も描きあげたことのない大伴昌司像を私は徒手空拳で、作っていったのである。今思えば大胆無謀である。

 例えば、そのときに私の独断で彼のグラビアを評価した。「大空港」「情報社会」という特集の秀逸性を言挙げし、「一枚の絵は一万字にまさる」というコピーをとりあげて時代を喝破したと、私はコメントした。彼が作り上げた怪獣のルーツなども私が「勝手に」推理した。
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その後、大伴本が出版されたり大伴大特集が組まれると、必ず上記のような事柄が取り上げられ、私のテーゼが大伴の本質のように語られることが多くなった。何か私自身の眼力がよかったと言われるようで嬉しい反面、まだ私は大伴の本質を捉えきってないではないかという忸怩たる思いが残った。今もあるのだ。

だから、この機会にもう一度大伴昌司像を再検証しながら、実相をおいかけてみたいと思うのだ。むろん、番組を取材するように、きちんとした機動力も予算ももたないが、それでも少しずつ資料証言を集めて組み立てようと考えている。

本名、四至本豊治。父は戦前アメリカ通のジャーナリストとして知られた四至本八郎。母アイも女性新聞記者としてペンを奮った。父は大阪泉州の出身、母は福島県の出である。
四至本家は元来京都にあったようだ。家紋は菊のご紋を抱くような葉の構図であり、京都出自説を裏付ける。
 父についてまだ詳しく調べていないが、戦前アメリカに留学しかなりの知己をもった。この頃の体験からルーズベルト大統領の人脈などを描いた「ブレーントラスト」や「テクノクラシー」といった本を著す。当時ベストセラーになった。後にアイと結婚し1935年豊治を得る。

1938年、一家でメキシコへ渡る。父は商工省のメキシコ貿易斡旋所所長として赴任。一説によると備蓄石油の買い付けの仕事であったという。このとき、大伴はメキシコシティで異なる世界を見聞体験する。グァダルーペの黒いマリア像、大きな石の寺院などを見る。でも何より豊治少年の心をとらえたのはアステカの大ピラミッドであり石像だった。鳥のくちばしをもった怪獣の前から離れようとしなかったと、母は語る。父は当時すでに小型撮影機を所持していて、豊治少年のメキシコの行動を写しとっていた。私が番組の取材を始めたときそれが大伴の仕事部屋に残されていた。当然それを私の番組内で使用したところ内外から驚きの声があがった。

 この父の映像趣味は特筆すべきだろう。豊治少年に大きな影響を与えたに違いないのだから。さらに父は少年のために当時日本では入手困難なディズニーのフィルムを少年に与えている。戦時下ひそかにそれを見ていたと大伴は雑誌にちらり告白している。映像が強いインパクトをもつことは幼い頃から自分の眼で知っていたのだ。


 大伴と母は戦争勃発する2ヶ月前の、昭和16年10月日本へ帰ってくる。父は遅れたため開戦と遭遇しおよそ1ヶ月太平洋をさまよって帰国する。
戦時中、父はビルマの民政官として現地にわたり、残された母子は福島に疎開する。
戦争が終り、豊治少年は品川の御殿山小学校に入学。成績はよく当時始まったばかりの学校新聞に抜群の編集力を発揮する。その頃、彼の家庭教師であった星謙治を私は探し当て取材した。「よく勉強ができた。社会が得意であったがそれも理科的社会がよかった」つまり科学的な社会現象をとらえるのが好きだったのだ。ほかに星の印象にのこったのは天文学に対する強い探究心だったという。この家庭教師の助力もあって少年は慶応普通部に入学する。

 彼はそこで写真クラブに所属し、野山を駆け回って撮影する。そのときの指導教師ソノ先生が大伴に深い影響を与えたと言われる。ソノさんも早くになくなっている。当時を知る関係者を一人だけ母アイさんから、私は教えてもらった。近いうちに会いに行って話を聞いてくるつもりだ。この部分はだから「虫食い部分」にとどめておく。

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メキシコのピラミッドの石像を見学する四至本一家。
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by yamato-y | 2006-02-19 22:17 | 大伴昌司の遺産 | Comments(0)
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